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2021年8月16日

交渉における心理的戦略の限界

自分の交渉分析の講義では、交渉の3つの側面(実質的、手続き的、心理的)のうち、心理的側面については、ほとんど扱いません。自分自身が心理学に疎いというのもありますが、それ以上に、交渉の心理的戦略は、あまり役に立たないというのが私の持論です。むしろどうしたら実質的な利得をお互いに最大化できるのかどうかを考察できるようになるための講義をしています。

先日から炎上中の某氏、謝罪したそうですが、そもそも謝罪の心理的な技法を以前に話していたものだから、今回の謝罪も全く信用されないようですね。心からの「謝罪」ではなく、演技としての謝罪としてしか受け止めてもらえないのでしょう。かわいそうといえばかわいそうですし、自業自得といえば自業自得。

この事例が特徴的なように、交渉でも、心理的な戦略は、相手に見透かされてしまうと、効果がないどころか、むしろ逆効果です。信頼関係の構築を毀損します。

もちろん、人質解放交渉や外交の現場の非常にミクロな場面では、わたしの理解を超えるような心理的戦略が使われて、効果を発揮しているとは想像します。しかし、そこらへんの超高度な技術を一般人が理解しても、使う場面もないし、技術的にも練習の機会がないので実践できないでしょう。

よって小手先の心理的な技巧を業務の交渉で使うのは基本、やめておいたほうがよいです。露骨に繰り返し使っていると、信用を失って取引先がなくなり、自分で自分のBATNAを棄損することになります。

もちろん、コロナが終息して海外旅行に行くようなことがあれば、旅先の露店でのおみやげ品の値切りなんかで、心理的な技巧を使ってみるのはいいかもしれません。要は、縁が切れてもいいような相手なら、遊びで使ってみてもいいかもしれませんね。もちろん百戦錬磨の露店商の人たちのほうが技術力が高くて、うまいことぼったくられるだけかもしれませんが…


カテゴリ: Consensus Building,Media,Negotiation — Masa @ 8:32 AM

 

2018年8月31日

電子メールが2週間も送信できてなかった!

お盆明けくらいから、なんとなくモチベーションが下がりまくっていて、夏休みでダラダラしすぎてるのかもなぁ、と悶々としておりました。「俺って世の中に必要とされてるのか?」なんて自問自答したりして。

そんな日々が続いていたのですが、今週前半、ふと「受信トレイ」を見てみると、謎のメッセージが溜まっているではないですか。

名称未設定 1

自分はIMAPを使っているので、通常の受信メールはサーバ側の「受信トレイ」に保存されて、普段はそちらしかチェックしてないのですが、outlookのクライアントには別途「個人用フォルダ」の「受信トレイ」が強制的にセットアップされているんですね。そっちのほうにこのメッセージが溜まっていたので、2週間ばかり気づかず放置してました。

で中身を見てみると・・・

名称未設定 1

メールが配信できていないだと!?

一瞬、相手のメールボックスの問題かなぁ、なんて思いましたが、こんだけエラーメッセージが溜まってるってことは、自分側の問題でしょう。ということで、エラーメッセージの

5.1.8 Access denied, bad outbound sender. について調べてみると・・・

名称未設定 1

マルウェアによってハッキングだと!?!?!?

超焦って、自分のPCを再度ウイルスチェッカーで確認してみたり、送信済みメッセージ等に何か痕跡がないか探してみたり・・・したものの、乗っ取られた痕跡はとりあえず確認できませんでした。とはいえ、通信ログ確認したわけではないので、ちょっと不安。最近、明治大ではこんなインシデントがあったばかりですし・・・コノ俺がやっちまったか?と焦ります。

とりあえず仕事にならないので、別の個人管理のサーバから急いでメールを再送しました。

このエラーメッセージですが、送信メールすべてについて来ていたわけではないので、一部のメールは送られていたのかな?と思いましたが、どうやら、8月16日以降、全てのメールが送信されていなかったようです。完全にSMTPが阻止されてた状態ですね(泣。受信側のIMAPも停止されていればメールが1通も届かなくなって、さすがにもっと早く気づいたでしょうが、送信側だけ停止されていて、エラーメッセージも普段見ないメールボックスに入っていたので、2週間も気づきませんでした。あと、学期の期間中でなければ、対面でいろんな人に会うので、「メール届いてない!?」という話題になるでしょうが、夏休みで人と会うことが少なかったので、気づくのが遅れたかもしれません。

ということで、駿河台のサポートデスクに電話、状況をお伝えして調査してもらうと、特に不正アクセスはなく(怪しいのは九州のプロバイダからアクセスがあったという点らしいですが、それって自分の九州帰省(笑))、すぐに復活してもらえました。迅速対応感謝!

で、原因ですが・・・実は自分のミスでした。前職の東大のメールアドレスがまだ生きているので、東大に届いたメールをすべて明治に転送していました。で、その中に大量のSPAMが含まれていました。それだけならともかく、明治に届いたメールは全てgmailに転送していたので、SPAMを東大→明治→gmailの間でリレー中継させてしまい、明治のサーバー(正確にはMSの企業向けoutlook)が「こいつSPAM送ってるやん!」と自動判断してアカウント止めちゃったみたいです。当初は東大から明治の転送の際に、SPAMを除外する設定にしてたんですが、いつの間にかその設定が機能しなくなっていたようです。また、お盆にSPAMが急増したのかもしれません。まぁいずれにせよ、転送設定をミスった私が悪い。

ということでメール送信のシステムが今週復活。復活後、たくさんのお返事(仕事の用件ばっかしですが)を頂戴しました!というか、システムが止まっている間、メーリスのメッセージなどは届くのですが、自分が送ったメールへの返信が全くなかったんですよね。というかそもそもメール送信できてなかったんだから返事が来るわけもないですが(笑)。

で、思ったのですが、メールを送っても返事が来ない、って、けっこう、メンタルへのダメージが大きいのかもしれませんね。話しかけてもみんなから無視をされるのと同じでしょうか。自分はこれまでほとんど意識してませんでしたが、今回、偶然そういう状況に置かれて、返事がもらえないとジワジワと無能感に苛まれることに気がつきました。電子メールはとりあえずヒトコト返事しておくって、良好な人間関係を維持するうえで、大切なことかもしれませんね。まぁだからこそ、敢えて返事をしない、っていう選択肢もあるわけですが。


カテゴリ: Computers,Media,Meiji University,Science/Technology Policy — Masa @ 9:14 AM

 

2014年5月16日

共同事実確認について「大竹まこと ゴールデンラジオ」で湯浅誠さんに言及いただきました

表題の通り、5/13の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の1コーナー、『大竹紳士交遊録』にて、毎週火曜日ご出演の湯浅誠さんが、拙著「実践交渉学」を言及され、共同事実確認の必要性をお話されていました。

たぶん来週までポッドキャストで聴くことができます(ほんとうはiTunesやWinAmpなどが必要みたいですが、自分を含めインストールが嫌な人はPodcastのXMLファイルにmp3ファイルのURLが記載されてるのでそれをブラウザにコピペして開けば聴けます)。

大変ありがたい話ですし、大竹まことさんほか出演者のみなさんがどう反応するのか大変気になるところでありましたので、途中からですが、書き起こしてみました。

 

湯浅:まー、福島のー、若い女性と、いつだったかな、あのー、ちょっと前に話したときにも。

大竹:はい

湯浅:えー・・・そのー、結婚するしないとか、子供産む産まないとか、そのー、女性たち、若い女性にとってのその普通の友達同士の会話がね、すごいこう、意味が重くなっちゃった。

大竹:はい

湯浅:あのー、普通だったらね、あのー、もっと将来こう、かっこいい彼氏と結婚したいだの、子供は二人欲しい三人欲しいだの、普通にこう、そういう夢として話せるけれども、なんか今、その話題を、福島で若い女性が持ち出すと、そこにこう、意味が変わってきちゃってるわけです、その話をすることの意味がね。

大竹:そうだね。

湯浅:だからそういう話がなかなかその、普通にできるはずの話が普通にできない苦しさみたいなっていうのは、これはなかなかー、その場でそういう状況のなかにいないと、わかんないんだっておっしゃってて、そうだろうって思うんですよね。だからあんまりそのー・・・なんかこう、軽々しく言えないなっていうことを、まあすごく強く感じながら喋りにくさを感じながらしゃべるんだけども、あのー・・・、まぁ鼻血が出た人はいるでしょうと、さっきの郡山の方、のようにですね。

大竹:はい。

湯浅:ご指摘のように。それでー、えーと、それが、何で、どういう原因なのかをめぐっては、たぶん、両方の専門家という人がいて、で、両方の専門家は、専門的に、原因は違う。専門的に原因はこうであると言いますよね、と。だから、両方とも、専門的に、ということで、えー、別のことを言うわけですよね。で、そのときに私たちが、どういうふうに判断するかってこと、なんだとおもうんですけど。一方にやっぱり、えー・・・、その、政府に対する不信感って、やっぱり日本根強いものがあるから。

大竹:はい

湯浅:あのー、そのー、政府に対する評価をめぐってこの専門的な意見が評価されるっていう。だからー、あのー・・・結果的に、2つの専門家が2つの専門的見解を出しているんだけど、これがー、そのー・・・、ある人の、Aさん、Aという専門家の言うことが政府とおんなじだったらば、政府を信頼する人たちからは、きっとそうだ、専門的にそうなんだろう、っていうし。政府を批判する人からすると、そんなのは御用学者の言うことだから信用できねぇ、ってことになるんだろうから、あの、結果的に、なんかこう・・・その、専門的な議論、も、あの、きちんと検証するような、場がつくれないってことになっちゃうんですね。本来こういう場所は、そのー、政府とか公的な場所がつくって、で、賛成派と反対派がいますね、と。

大竹:うーん

湯浅:だから両方の議論をたたかわせるなかで、住民、なり、まぁ、市民なり国民なりが、どういうふうに考えるか、素材を提供します、ってことになってるんだけど、その場を、政府や自治体がつくった途端に、そんな場は信用できないって話になっちゃうから。・だから、そうするといったい誰がどうつくれば、みんなが、客観的な議論ができる場所として、そのー認められるのかって言うかね。それがたぶん、公共性っていう問題なんだと思うんですけど、その公共的な空間が、非常にいま、つくるのが難しく成っちゃってるから、どうしても誰がつくったかってところで、もう、なんか、それで結論が決まっちゃうっていうかね。あの、あの人たちがつくった場だから、信用できない。この人たちがつくった場だったら、こんど別の人たちが、あー、あいつらがセッティングした場だから信用できない。そういう話になると、結局みんなで、そのー、対等に議論をたたかわせる、あるいは、そこでこう真実を探求する、えー、客観的な判断をする場所って、どうやってつくっていけんだろうと。

大竹:うん

湯浅:これがー・・・なんかー、つくづく、今回の問題の、ま、今回のこの美味しんぼ問題だけじゃないですけどね。ずーっと前からだけども、問題だな、と思いますね。

大竹:あの、その、両方の専門家があって、いういま、ご意見おっしゃったけど。なんか・・・県とかのほうが、早く反応してなかった?この、否定的な。

湯浅:あ、今回?あ、そうなの?えー、俺そこまでちょっと話してないけど。

アナウンサー:美味しんぼが出たことに対する県の立場の表明ということですか?

大竹:そうそうそう

アナウンサー:もちろんあのー、そのー、風評被害のこととか、そういうことを心配して県としてはそういう事実はないということを、いち早く、出したということなんでしょうね。

大竹:言ったんだけど。なんか・・・そっちのほうの、専門家よりも前に、そういう意見が、こう、バって出てきて。

湯浅:うんうんうん

大竹:ま、俺には、なんか、少し躍起になってる感じが・・・したんだけども。

湯浅:それはありうるかも知れないけど、でもたぶん、県が言うことの背景には、県の見解を裏付けるような専門家の意見がある、あったんでしょう。いままでこの3年間の間に。

大竹:うーん

湯浅:そういうことを踏まえて、まぁ、あのー、非常に迅速に言ったのは、たぶん、政治的な配慮がもちろん大竹さん言うようにあるからだと思うけれども、ま、たぶん、そういうことが、あのー、背後にはあるんだと思うんですよ。いや、つまり私が言いたいのはね、あのね。この話、今日とりあげるって知らなく、知らなかったんだけど、たまたま、

大竹:はい、ええ

湯浅:松浦マサヒコ(注:正しくは「マサヒロ」ですw)さんっていう方が、書いてる、交渉学、いかに合意形成を図るか、っていう本をいま読んでたのよね。

大竹:はい

湯浅:そしたらー、これ原発事故の前に書かれた本なんだけど、原発・・・事故とか、原子力発電の安全性をめぐっての議論みたいなのが、アメリカの議論だとかとりあげられててね、彼はあの、その、そういう専門家の、えー、いろいろ出すそのー、証拠なんかを、弁護科学って言ってるんですよ。

大竹:あぁ

湯浅:そういう言葉があるみたい。

大竹:はいはい

湯浅:要するに、ある立場を裏付けるための専門資料、そういうのを出して、やるっていうのは、ある種の弁護科学という。だから、弁護科学同士の戦いになるわけだよね。そのー、危険だっていうのを、擁護する弁護科学があり、安全だっていうのを擁護する弁護科学がありと、で、そんときに、えー、結果的にまぁいま私が話したことなんだけど、あの大事なことは、共同事実確認っていうことを、やることで、で、共同事実確認っていうのはそれぞれのあのー、弁護科学が、どういう、前提で成り立っているのかを、ちゃんとお互い出し合うことだと。つまりたとえばごみ焼却場ができると、でそしたら周辺に健康被害が及ぶと、いうふうな試算がでますわね。んでそれによって、なんかこう、がんの発生率が5倍に増えますみたいな

大竹:ふんふん

湯浅:で、そうすると、その5倍に発生しますっていう結論は、たとえばずーっと24時間窓を開けはなしてて、そのー、それがえーと、焼却場で24時間ずっと燃やし続けてみたいな、いろんな仮定に仮定を重ねて、5倍ていうのがでると。

大竹:はい

湯浅:で、逆にもっと、少ない、ふうに燃やして街の人たちがちょっとしか外に出なくて、みたいな仮定をすると、別になんの被害もありません、みたいな話になると。だからそのー、5倍だ、なのか安全なのかっていうのを戦わせる前に、どういう仮定のもとで、その資産を出しているのかを、それを共同のテーブルで、やらないといけないし、そのためには、共同のテーブルを集めることで、その、それをま、差配する人たちが客観的な学者さんたちだ、あるいは専門家なんだっていうふうに周りが認めるような人たちじゃないといけないと。それがいないってことなんですよ。

大竹:そうですねー

湯浅:それがいない。

アナウンサー:あらゆる場面で、まぁこのー、福島の問題とか原発の問題とか、もそうですけど、たとえばそのー、いま安倍政権がその集団的安全保障に関するそのー、行使容認というふうに動こうとしてますけど、そのバックボーンになるのが、その法制懇、えー=、安全保障に関する法的基盤の再構築に関する懇談会、これのメンバーが、もともと安倍さんのこう、考える意向に沿うようなメンバーで固めてきて、で、それで結果こうなりました。あ、それはごもっともですじゃぁこうしましょうではなくって、両方の立場からその意見が出てきて、さぁ最終的にじゃぁ、みなさんどうしましょうかっていうようなのが、あらゆるジャンルで必要になるっていうようなことですね。

湯浅:それでそんなのはきれいごとでね、あのー、世の中もっと政治的に動いてるんだから、あのー、そんな、あのー、簡単に客観性なんて言えないんだ、っていうのはまさにその通りなのよ。それはいまの集団的自衛権の法制懇の議論だって、えー、NHKの経営委員のあの人だって、えー、もう、それは挙げ始めればいくらでもあるし、私だっていろいろ言ってることはある。だけどもー、だから、じゃぁ、みんなそうなんだっていうふうにすると、たぶん、我々は専門的なことはわかんないからね。

大竹:はい

湯浅:そうすると、もう、ほとんど宗教、争いになるわけですよ。どっちを信じるか、みたいなね。だけど、この話に出口はないよね。でそれで、このー、宗教争いで、いちばん痛むのは、さっき話したような、現地の人たちとか、若い女の子とか、そういう話になっていくんだとしたら、やっぱその、山のようにそういう話があることはもう、俺ももう、それはもう、わかっているつもりだけども。だからといって、じゃぁ、結局、その、どっちを信じるか、信じる者どうしの争いなんだって、やっぱり、こう、身も蓋もない言い方はしたくない。なーんとかそっから、あのー・・・その先を、見据えて、いきたいなと思うんだけどね。

アナウンサー:メール読んでると、同じ福島に住んでいる人でも、美味しんぼよくやってくれたっていう人と、とんでもないことをやってくれたっていう人に、こう引き裂かれちゃうこと自体がものすごい悲劇だなっていう感じがしますね。

湯浅:いやー、その繰り返しじゃないですか、ずーっともうこの3年間。

真鍋:批判して結局どうしたいんでしょうね。これまた批判したことによって美味しんぼ側が、いや、なんかそんな、載せちゃってすみませんでしたみたいなのを載せちゃったらそれはそれでまた、ね、政府側にも批判がいくだろうし。結局どこに落ち着けたいのかがいまのところちょっとよくわからない。

大竹:ま、そういうのも・・・うん、ま、もちろん、湯浅さんの言うとおりだけど、でも、その前に、えー、9ヵ月後には収束宣言は出してるし、アンダーコントロールとは言ってるし、っていう、なんかこう、踊ってる活字にみんな疑問を持ってるわけじゃない

湯浅:もちろんそうですよ。もちろんそう。だからまぁ、東電、国のこの間のやり方が信用できないから、っていう、文脈でね、そういう話になることも、あの、無視するつもりはないんだ。

大竹:間違ってるんですよ、それは、間違ってる。

湯浅:いや・・・間違ってない・・・間違ってない・・・

アナウンサー:お時間でございます。苦悩が伝わってきました

湯浅:そこで話が終わるとたぶん・・・

大竹:いや、ごめんなさいごめんなさい。責めてるわけではないので。

真鍋:この話題また進展が来週まであるんでしょうか・・・

 

ということで、大竹さんとしては、信用できない(信用できなくなるようなことをしてきた)政府や東電を対等な立場で位置づけることに違和感があるようです。確かにこれが一般の多くの人たちの感性なのかなという気もします。