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2021年8月16日

交渉における心理的戦略の限界

自分の交渉分析の講義では、交渉の3つの側面(実質的、手続き的、心理的)のうち、心理的側面については、ほとんど扱いません。自分自身が心理学に疎いというのもありますが、それ以上に、交渉の心理的戦略は、あまり役に立たないというのが私の持論です。むしろどうしたら実質的な利得をお互いに最大化できるのかどうかを考察できるようになるための講義をしています。

先日から炎上中の某氏、謝罪したそうですが、そもそも謝罪の心理的な技法を以前に話していたものだから、今回の謝罪も全く信用されないようですね。心からの「謝罪」ではなく、演技としての謝罪としてしか受け止めてもらえないのでしょう。かわいそうといえばかわいそうですし、自業自得といえば自業自得。

この事例が特徴的なように、交渉でも、心理的な戦略は、相手に見透かされてしまうと、効果がないどころか、むしろ逆効果です。信頼関係の構築を毀損します。

もちろん、人質解放交渉や外交の現場の非常にミクロな場面では、わたしの理解を超えるような心理的戦略が使われて、効果を発揮しているとは想像します。しかし、そこらへんの超高度な技術を一般人が理解しても、使う場面もないし、技術的にも練習の機会がないので実践できないでしょう。

よって小手先の心理的な技巧を業務の交渉で使うのは基本、やめておいたほうがよいです。露骨に繰り返し使っていると、信用を失って取引先がなくなり、自分で自分のBATNAを棄損することになります。

もちろん、コロナが終息して海外旅行に行くようなことがあれば、旅先の露店でのおみやげ品の値切りなんかで、心理的な技巧を使ってみるのはいいかもしれません。要は、縁が切れてもいいような相手なら、遊びで使ってみてもいいかもしれませんね。もちろん百戦錬磨の露店商の人たちのほうが技術力が高くて、うまいことぼったくられるだけかもしれませんが…


カテゴリ: Consensus Building,Media,Negotiation — Masa @ 8:32 AM

 

2020年6月9日

ZOOMによる交渉効率化の可能性

いやほんと、今日はビックリしましたよ。

小職が東大の公共政策大学院で10年以上担当している科目「交渉と合意」。交渉分析の基礎と政策形成への応用をお話ししているのですが、今日は6者間での公共事業に関する合意形成模擬交渉。

「ハーボコ」という教材で、小職のMITの師匠が制作した教材なんですが、利害調整の論点が5つもあって、しかも各役割の利害が複雑に入り組んでいるのに、授業時間内の1時間半で合意形成を図る必要があり、さらにちょっとしたトリックも仕組まれていて・・・

Group-2-1

という、なかなかスリリングな演習です。この講義を受講した修了生のみなさんのなかには、この演習のことを忘れずに覚えている人も多いと思います。

で、何がビックリしたかといえば、今日はオンラインでやったわけです。

ZOOMでブレークアウトルーム機能をつかって原則6人1組(3グループ)に分かれて演習に参加してもらったんですね。

オンラインだからコミュニケーションがうまくとれないだろうなぁ、6者間なんて話し合いになるのかなぁ、と、やってみるまではドキドキでした。実際、ブレークアウトルーム機能が想定通り機能せず、講義開始直後にいったん全員にログオフしてもらって再度立ち上げなおすといったトラブルに見舞われたほど。

ですが、3グループのうち、2グループがなんと1時間程度で6者間合意に到達してしまったのです!

Group-3-1

通常であれば1時間半かかる演習が2/3の時間で合意に達してしまう、しかも例外的ではなく3事例のうち2事例、しかも覗き見していた感じ、特になにか「凄い」進行が行われていたような感じではないグループで、短時間で合意形成成功とは・・・。

これはZOOMというかテレビ会議の可能性を示唆しているような気がします。いちどnegotiation journalあたりで既往研究がないかどうかチェックしたいのですが、マルチステークホルダーの合意形成をオンライン会議にすると、時間の効率化が図られるのかも。とはいえ逆に、議論の質がどうだったかの検証も必要なんですがね。

コロナ禍は多者間交渉を大きく変えるトリガーなのかもしれない、と思うと鳥肌ザワザワした午後でした。


カテゴリ: Computers,Negotiation,Transition,University of Tokyo — Masa @ 11:14 PM

 

2019年10月15日

他人の得が許せないのか、自分のなかの規範を押しつけてるだけなのか

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

この記事を読んでみて、なんか不思議だなぁ、と思った次第。

というのも、僕が専門としている「交渉」の暗黙の了解として、各当事者、自己の利益を最大化するために行動するっていう前提があるわけです。しかし実際は、猿だって利他的な行動をするんだから、そもそも自己利益最大化って前提自体がおかしいじゃないか、って問題提起があっちこっちから出てきてるわけです。

という状況のなかで今度は、(自己の利益とは無関係に)他人の利益を減少させるために行動する、っていう新たなパターンもあるのか、ってふと、思いました。妬みみたいなものですね。

他人が得するのが許せないので、それを妨害しようとする行動に出るって、どうなんでしょう?

妨害することで自分の利益が増えるのであれば、結局は、きわめて不寛容ですが、自己利益最大化行動なので、合理的なのかもしれません。記事に出てくる事例、たとえばアンジェリーナジョリーのサイン貰うトラブルってストーリーも、他者がサインをもらったからムカつくというのですが、その他者が存在しなければ自分がサインを貰えた確率が高まるという判断でムカついているのであれば、合理的な判断かもしれません。

他方、自己の利益増加とは無関係に、他者の利益を妬む心理っていうのも、わかるっちゃわかるんですが、それって何なんでしょうね?要は足を引きずるってこと。自分には何の得にもならないどころか、邪魔をするコストを考えれば損失も発生しているかも。

もしかして、「負けた」って自分の感情を打ち消すために他者の足を引っ張るのであれば、まぁ合理的なのかもしれない。ヒドイ奴ですけどね。

あるいは打算や感情抜きで、自分の中で勝手に思い込んでる「規範(ルール)」に反するから、それを押し付けようとしているのかもしれません。もしそうなのだとしたら、研究としても興味深いもので、「熟議(deliberation)」ってそういう規範を間主体的に形成するために必要だという議論があるわけです。もしも個々人が好き勝手に「規範」をつくってしまったら、それはそもそも規範じゃないんじゃないの、と思うわけです。しかし個人の中では規範というか正義というかルールだと信じ切っているので、それと齟齬のある行動は罰しなければならない、と他者に邪魔をしたくなってしまうのかもしれません。悪い意味で風紀委員会のヒトみたいでなんかウザいですが、そういうのが増えてきてるのかもしれませんね。だって「正義」なんですもの。ネットの世界で、嫌いな人を遮断して好きな人たちとだけつきあっていると、そういうおかしな規範意識ができあがって、ウザいだけの人間ができあがってしまうのかもしれませんね。

結局、SNSのいいね、とブロック機能がクソなのでしょうか。

どうしたらよいのでしょう。新約聖書では妬みやそしりが戒められていますが・・・解決策をスピ系に求めちゃうっていうのも、どうでしょうね・・・(冒頭の記事もそっち系をオチにしてるんですが)。


カテゴリ: Computers,Life,Negotiation,Public policy — Masa @ 6:15 PM