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2014年5月30日

人間はまず判断を下してから理由を考えるのだとしたら:合意形成論のフロンティア

Jonathan Haidtの”The Righteous Mind: Why Good People are Divided by Politics and Religion”を最近読んでからというもの、けっこう影響を受けているわけです。

で、この本の中で、道徳心理学(moral psychology)の実験が例示されています。人間が倫理にまつわる難しい問いかけをされたときに、いくら反証を出されても、自分の結論をなかなか変えようとしないし、反証されて追い込まれれば追い込まれるほど「それってとにかく違和感あるから許せない」みたいな回答しかできなくなるそうです。

この事例をもとに、人間がモラルに関する判断をするときには、自分の理性に問いかけて判断をだしているのではなく、むしろ瞬間的に脳内で判断が行われた後でそれを正当化するための理由を考えているのかもしれないということが指摘されているようです(私の誤読でなければよいのですが・・・)。

もしこの仮説が正しければ、現実問題として、モラルに関する論争が存在するとき、この論争で相対する当事者たちが、お互いにそれぞれの主張を理論づけて対話したとしても、何らかの和解や相互理解につながるはずはないということになります。論理をもって相手を説得しようとしても、そしてたとえ相手の論理を完全に棄却することができたとしても、お相手は、自分の判断を正当化するために別の論拠を探しに行くだけです。脳内で「判断」が先にできあがってしまっているのですから、後づけの「論理」をいくら否定しても、「判断」は変わらないわけです。

そうなると、いわゆる熟議(deliberation)なるもの、つまりモラルに関する論争を、相互の理性に訴えかける対話を通じて何らかの合意にいたらしめる可能性を否定しているようにも思えます(もちろん二項対立型の論争が存在しない状況、つまり「判断」ができあがっていない状況については、熟議は可能なのかもしれません)。

結果として、異なるモラルの下で結集する人々の間で永遠にたたかいを続けるしかないという、なんというか、ファシズムの政治思想につながりそうな気もします。実際、Wikipediaで見てみたら、Haidt氏はそういう理由で批判されているようです。

しかしよく読んでみると、この本は、そういうシニカルな結論で終わらせていないと思います。彼が言いたいのは、「論理」で相手を説得しようとしても無駄なんだから、相手の「判断」に対して直接訴えかけないといけないんだよ、ということなんじゃないかと思います。

実際、それぞれの人の脳内にある「判断」は、絶対に変わらないものじゃなくて、状況によって変わるものだそうです。これは以前読んだ藤井先生の本でも指摘されていることかと思います。

じゃぁ、どういう状況になれば、人間が「判断」を下す回路が柔軟になって、再構築を促すことができるのでしょうか?

いま自分が関心があるのがこの問題で、この「判断の回路をやわらかくする介入」を実用的な工程として定式化できれば、いろんな対話の場面で有用じゃないでしょうか。

それこそ、このステップを踏めないと、モラル論争に対応できる熟議など不可能じゃないかとも思えてきています。もしかすると、地域紛争でさえも、解決の糸口が見えてくるかもしれません。

では、どういう「工程」があり得るでしょうか?ひとつの着想としては、Kurt LewinやEd Scheinの組織変革(organizational change)の3ステップが援用できるかなと考えています。彼らは、組織を変えるためには、unfreeze -> change -> (re)freezeという3ステップが必要だと言っています。いちばんの鍵はunfreezeのステップで、まず、組織内部の人たちが自分の組織の現状には問題があることを認める(彼らに認めさせる)ことから、組織変革が始まるそうです。この「自分たちが間違っている(かもしれない)ことを認める」という大きな壁を越えることは、まさに、自分の「判断の回路をやわらかくする」ことに近いのではないかと思います。他にもいろいろな手段はあると思いますので、いろいろな先行事例を学ばせていただいて、援用していきたいなぁと漠然と考えています。

いずれにせよ、この「判断」という謎の領域こそが、これからの合意形成を考える上でのフロンティアなのではないかと思います。


カテゴリ: Consensus Building,Negotiation,Public policy — Masa @ 9:08 AM