Column #5:合意形成と交渉学
(2000年ごろの記事)
一般的に、合意形成というと、これまでに「まちづくり」などの分野で試行錯誤的に行われてきた取り組みに目が行きがちです。
確かに、ワークショップなどのイベントを数多く実施してきた人たちの経験というのは重要でしょう。ただ、経験にばかり頼っていいのでしょうか?
余談ですが、私が留学した理由もここにあります。日本で合意形成についていろいろ勉強してみて、経験の話ばかりが先行していて、体系化された理論がないことに不満を感じ、アメリカに行ってみたんです。
そして、MITで交渉学に基づく合意形成の考え方に出遭ったわけです。
合意形成という用語をいいかげんに使いがちですが、誤解を招きかねないのでよくありません。
合意形成とは、利害関係者が合意できる取り引きを見出す取り組みです。
市民から意見を聞いてそれを計画に盛り込む、ことを合意形成と呼ぶには問題があると思います。
ですから、合意形成は商取引と同じで、本質的には交渉して取り引きをすることです。その差は公共か民間かの違いです。
例えば、最近話題になっている徳島の第十堰の問題ですが、「市民から意見を聞くのが合意形成」なのであれば、徳島市の住民投票の意見を汲んで堰はつくらない、というのが合意形成の取り組みになります。
しかしそれでは洪水が起きた時に責任を取らねばならない国は合意できないでしょう。
そこで、まず、国と、可動堰に反対している人たちの利害を単純にまとめてみると以下のようになります。
国: 洪水を防ぎたい、事業費は安く抑えたい
反対派: 環境を守りたい
これまでの動きを単純化すれば、国が可動堰という取り引きを持ち掛けて、反対派がその取り引きを拒否したわけです。
我々サラリーマンならすぐに思いつくことですが、取り引きを拒否されたら、すぐに他の条件を持ち出しますよね。可動堰という取り引きは住民投票では拒否されたわけですから、他の取り引きはないのでしょうか?
例えば・・・
- 他の手段で洪水を防ぎ、可動堰よりも環境は守られるが、余計にかかった事業費は地元に負担してもらう
(「負担できないのなら可動堰以外は無理ですな・・・」という、よく商取引の交渉で使われる戦術ですね) - このままでは洪水が起きるだろうと国は考えているが、地元が対策を拒否するのであれば仕方ない。そのかわり、洪水が起きた場合はすべて地元が責任を持つような制度改正をする
- 可動堰が環境を悪化させることはないので、もし水質が悪化したら、可動堰を撤去することを確約する。
などという取り引きがあるでしょう。これを持ち出してゆくことが本当の意味での合意形成です。
あくまで、こういう取り引き条件を見出してゆく手段として、アンケートをしてみたり、話し合いの場を設けたりするわけです。
ここまで読んでいただければ、交渉学と合意形成の関係がなんとなくわかっていただけたのではないでしょうか。