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Lecture #8: メディエーション(調停)

今回は少し「合意形成技術」のお話をします。これまで説明してきた交渉学というものは、実は経済学の観点に基づいて「合理的」な意思決定を行うための分析手法であり、decision analysisなどと言います。しかし経済学だけでなく、法学、社会学、心理学の分野でも交渉はこれまで研究されていて、これらの分野では特に「紛争処理 (dispute resolution)」の視点から交渉が検討されているように思います。既に何か人間、グループ、国家の間で揉めごとがおきているとして、第三者あるいは当事者が、その社会問題をどうやって収拾し、そして生産的な問題解決に転換できるのか、というパズルを解こうとしてきたわけです。

紛争処理といっても「無視」から「殺し合い」まで、その方法は多様です。一連の方法論についてはChris Mooreの"The Mediation Process"という本に詳しく載っています。簡単に言うと、何か揉め事の火種があったとして、それを放置してまるで問題が存在しないかのようにとりあえず毎日を過ごしていく、というのが紛争回避(conflict avoidance)という方法論です。日本人はこれが大好きだそうで、実際行政の意思決定過程などを見てみると、問題の先延ばしや短期的利益供与による紛争、対話の回避という行動がみられます。それがもう少し進化すると、当事者による話し合い、対話、すなわち自発的交渉が発生します。しかし自発的交渉等を経て(また、人類の長い歴史も踏まえ)、紛争があまりに悪化していると自発的交渉は発生せず、訴訟(第三者による判断の強制)、暴力、戦争という事態にジャンプしてしまいます。

言うまでもなく、訴訟や暴力は物理的、精神的なコストがきわめて高くつくわけですが、かといって感情的な高ぶり、信頼感の欠損、訴訟を前提とした戦略への執着などにより、自発的交渉はなかなか始まりません。じゃぁ、どうしようか、というところで人間はこれまでメディエーションという方法を使ってきました。

メディエーションは争っている人間の間に、誰かが割って入って、諍いを止めさせ、話し合いにより解決させようとすることです。メディエーションは、自発的交渉ができない状況で、いきなり訴訟や暴力に行かないように、第三者が当事者を引き止めて対話させようとする取り組みなので、一連の方法論では自発的交渉と訴訟/暴力の中間に位置します。つまり紛争処理の方法論を並べると下記のようになります。

紛争回避(無視)--自発的交渉--メディエーション--(他にいくつかメディエーションみたいな手法があって)--訴訟--戦争・暴力

メディエーションなんていうと舶来のカッコいいものに聞こえるでしょうが、喧嘩している友達を止めさせる方法なんて小学生だって知ってますよね。メディエーション自体は世界中、どの社会にも存在しますし、日本のいたるところで毎日「メディエーション」は行われているはずです。よって、メディエーションそのものを技術と呼ぶのはある意味間違っていると思います。その代わり、メディエーションを行う上で、どう感情の高ぶりを抑えるか、話し合いを生産的に進めさせるか、といった要素技術はたくさんあります。メディエーションという過程の中で活用されるツールを体得していることは有用だと思います。

メディエーションは、日本語では調停などと訳されます。しかし日本では、調停は基本的に法制度に基づくものであって、弁護士以外の人はお金をもらって調停を含む法律事務をしてはいけない、ということになっています(弁護士法72条の決まりです。まぁぶっちゃけた話、裏社会につながりのある示談屋の正当性を否定するための法律だと思いますが・・・)。よって、調停と訳してしまうと、アメリカで使われているメディエーションという言葉の響きが歪曲されてしまいます。だって子供が喧嘩を止めているのもメディエーションなわけです。「児童による喧嘩の調停」ってヘンでしょ。そんなこともあり、1996年頃からこれまで片仮名嫌いの私も「メディエーション」と使ってきました。このままではイカんと思っており、司法制度改革審議会やその後のADR(代替的紛争処理)に関する動きを通じて、われわれが使う「調停」の意味合いを拡大して、英語のmediationにまで近づけてくれればよいが・・・と思っています。昔日本にあった言葉の「観解」や中国語の「調解」などを使う手もあるかな、と感じています。

さて、メディエーションの枠組みの話をしてしまい、個別各論は今回できませんでした。個別各論については今度お話しますが、簡単に言えば、(1)招集(convening)-話し合いを始めさせる、(2)交渉-話し合いをさせる、(3)合意形成-合意を見つけさせる、という3段階になります。手法と言ってもそれほど大したことはありません。むしろ、これまで交渉学講座で述べてきた合理的判断の方法、について理解することが重要で、それを念頭に置いた上で、誰でも知っている「喧嘩を収めさせる」方法を適用すれば、まぁ、一種のメディエーションができた、と言ってよいのではないでしょうか。

メディエーションという言葉に翻弄されず、まず、自分の友達が喧嘩したとしていたら、どういう「手」を自分が打つかアタマの中で想像して、紙に書いてみたらいいでしょう。そのシナリオに書き出される「手」がメディエーションの技法であり、多くの人は頭のどこかで理解しているはずだと私は思います。

むしろ、西洋から輸入される「メディエーション」の技法より、あなたが本能的に思いつく喧嘩を止めさせる「手」のほうがよほど役に立つメディエーションの技法だと私は思います。

(*実は私の研究は、日本人が行政の問題でもめていたときに、『メディエーション』をする場合に使える「手」は何か、を見つけることです。海外にはいろいろと技法があるわけですが、日本人(当然日本人は一律ではなく、内部にサブ・グループが輻輳的に存在するわけですが)がOKだと受け入れてくれる技法は何なんだろう、というのが私の疑問です。技法と言っていますが、そもそも「交渉」という考え方自体が「独立した個人」を想定しているのだから日本には米国的な交渉の概念は存在し得ない、などという考え(これは極論でしょうが)もあり、技法といった小細工のレベルではなくもっとダイナミックに海外のメディエーション的公共紛争処理手法に手を加えてあげないといかんだろうな、と思っています)