2013年10月24日
最近、「科学への信頼」というフレーズを繰り返し耳にする機会がありました。しかし、聴いているうちに「そうはいうけど、信頼ってなんだろう?」と疑問が沸いてきました。まぁこれはありがちな疑問で、信頼だの信用だの安心だの安全だの、terminologyの議論はあちこちで行われています。
むしろ自分自身が気になったのは、信頼という言葉を何と英語に訳すかです。たぶん、ほっといたら、trustと訳す人が大半でしょう。しかしtrustという言葉には、ここでいう「信頼」とはちょっと違うニュアンスがあるような気がします。たとえば、金融の文脈では"trust"は「信託」と訳されるはずです。信じて託しちゃうということですね。ですので、科学への信頼をtrust in science(正しくはscientistsやscientific communityでしょうが)みたいに訳すと、科学者たちに自分の判断を託してしまうという意味に聞こえます。
むしろここは、confidenceと訳すべきではないと思います。直訳すると「自信」なのでしょうが、主体的に何かを信じて支持するときもconfidenceといいます。たとえばオバマ大統領への支持もconfidence in Obamaといいます。ですからconfidence in scienceといえば、自分が判断を下す上で科学(的情報)を使いたいと思う、という意味合いが出てくると思います。
trustだと全権委任のcarte blancheを渡すイメージがあるので、そういう委任状が欲しい一部の科学利権を追求する人でもない限りは、やはりconfidenceという言葉を意識的に使っていったほうがよいのではないでしょうか。
2013年10月8日
Soulardarity
ミシガン州では行政の予算不足でかなりの数の街灯の運用を停止してしまったそうで、それに対抗して、grassrootsの市民団体が、太陽電池による街灯の整備を自ら始めているとのこと。
どこの国でも「非効率で過剰な公共サービス」が問題視され、削減の方向に向かっているのは間違いないでしょうが、街灯を消してしまう選択肢は、自動車に乗って移動できる人々を利して、歩行者を不利な状況に立たせるという、明らかに格差の拡大を助長する政策でしょう。
明らかに非効率な公共サービスの効率化はもちろん必要でしょうが、公共サービスとして最低限確保するサービス水準やその内容(特に再分配・セーフティネットの手段として)については、よくよく考える必要があるはずです。そこらへんの熟議をなおざりにして、行政を矮小化させて、新自由主義一直線で突っ走ることは、きわめて危険な選択でしょう。
そのときに、お互いに耳を傾けずに極論を主張しあっても埒が開かないでしょうから、市民運動として、行政の機能をoccupyしてしまうのは、なかなかスマートな選択肢ではないでしょうか。もちろんフリーライダーをどう排除するかといった諸問題は論理上は発生するのでしょうが、そもそも何もないカオスの状態でガバナンスの最終形について論理的な議論をしても空虚なわけです。まずは公共性の再構築というプロセスをtriggerして、その過程で発生する諸問題を追体験していくという、このようなインフラ整備市民運動には、大きな意味があるような気がします。
2013年10月1日
先月の話ですが、ICSSに参加してきました。東大関係者多数ですが、欧州の研究者も多数参加していました。場所はAix-en-Provenceという風光明媚なところにあるAix-Marseille Universiteというところでした。
相変わらずの弾丸出張で、夜行便で当日朝、パリ経由でマルセイユに着いて、高速バスでエクサンプロヴァンスへ移動、徒歩で会場に向かいました。
で、今回、セッションに参加してみての感想を以下箇条書きで。
・合意形成の問題はsustainability scienceという領域では重要と認識されてはいるものの、具体的な手法や概念についての共通認識ができてない、という共通認識を関係者が持っている様子。ここは重要なポイントで、できるだけholisticな視点で合意形成の問題に取り組んでいただければな・・・というのが私の感想。ある特定の研究者が特定の手法を推してその学術領域でguru化するのはよくある話。sustainability scienceとしてはオープンに社会的合意形成と科学との関係を見ていただきたいし、ここなら、できそうな予感がする。
・交渉(negotiation) vs. 熟議(deliberation)という軸で観察すると、研究者の発表の中にも、neoliberalなガバナンスにおけるnegotiationの行き詰まりに対しての不満を強く感じられた。しかしその対応として、deficit model前提の一般市民への教育、みたいな方向へ傾いているようにも感じたのが少し残念。むしろdeliberativeなガバナンスのあり方を志向していただければいいのな、と思った(そこへの誘導が私の仕事かもしれない)。
・共同事実確認(joint fact-finding)について発表したのですが、背景の問題意識はかなり共有されている模様。科学的情報をいかに社会とつなぐかが重要な課題であることは誰もが認識しているみたいだったけど、そこで「どういう手段があるのか?」という疑問への回答が得られてないようだった(私も正解は知らないけど)。
・Future Earthプロジェクトは、社会・科学の接点を検討する場として、要チェック(住先生よりアドバイス頂戴しました)。
マルセイユは治安が悪いとネットで見聞きしていて、実際ホテルのまわりのスーパーマーケットにも出かけてみたのですが、確かになんか怖いので、ぜんぜん出かけませんでした。ホテルとつながってたモールにhabitatがあったのでちょっと覗いたくらい。翌朝早朝5時半にはチェックアウトしてマルセイユ空港へ。
でも、移動のバスから見上げた空の色は、ほんと綺麗だったなぁ。