2024年11月18日
さる週末は、岡山まで弾丸出張して、第70回土木計画学研究発表会のスペシャルセッション「革新的技術の社会実装を阻む合意形成の谷」で発表してきました。出張移動の顛末は別途書こうと思いますが、今回はマジメに発表の内容について。
正直、データに基づく実証的なお話ではなかったので、あまりインパクトのある話ではなかったとは思いますが、土木学会という工学系の技術者が集まる場で、科学技術社会論的な視点から問題提起をさせていただいた感じです。
その場で言いたかったことは、革新的技術というほどのものの導入であれば、我々の日常が便利になるという程度では済まず、社会の「構造」までをも変化させる、つまりトランジションが起きるということ。だからこそ、その導入について社会として熟議が必要ということを述べたうえで、次いで、トランジションにおけるIncumbent問題をお話しました。
Incumbent問題というのは、現在の構造下における主要ステークホルダー(incumbent)は、現在の構造の受益者であるため、彼らの「合意形成」を行う、トランジションを阻む結論へと導かれてしまうこと。よって、革新的技術についても、ステークホルダーの合意形成を図ると、結果としてトランジションを阻む方向、つまり技術導入を阻止する方向へと社会が導かれてしまうという問題があるのです。もちろんそのトランジションが長期的視点からしても望ましくないのであれば、阻止したほうがよいのでしょうが、長期的にはトランジションが必要であるにもかかわらず、短期的視点から阻止されるのであれば、人間社会として(将来世代への責任として)よろしくないことでしょう。
要は、革新的技術の導入についての社会的な熟議は必要だけど、ステークホルダーの合意形成を図ろうとすると必要な技術導入も止められちゃうよということ。で、「どないすんねん?」という問題提起をさせてもらいました。
発表時間も短かったので解決策は敢えて言いませんでしたが、たとえばトランジション・マネジメントの考えを採用するのであれば、ステークホルダーではなく、フロントランナー(未来のステークホルダー)を巻き込んでボトムアップで徐々に技術を広めていきましょうという解決策が示されているわけです。
聴衆のみなさんにどれくらい伝わったのかは微妙ですが・・・こういう問題提起を、敢えて土木技術者が集まったところで続けていきたいとは思います。
あと、何名かの方と10年以上ぶりに再会できたのが大収穫でした。時がたつのは早いw。
2024年9月16日
さる9月14日(土)に、関西大学で開催の「環境経済・政策学会」の2024年大会に伺ってきました。
自分はいちお共著で、かなりガチで発表内容や原稿に手を加えたのですが、筆頭・発表はうちの研究室のナランさんで、母国のカンボジアで聞き取り調査した結果の発表。
何がおもしろいかって、多国籍企業が途上国の環境に「よい影響」を与えている事実の発見。多国籍企業ってたいがい、ボパールの大事故のイメージが強いせいか、途上国で「悪いこと」をしてるという見方をされがちなわけです。最近ではスウェットショップとか。
しかし今回の調査で、カンボジアでグリーン建築(環境にやさしいビル・工場など)を建てた事業者(※LEED認証)はすべて実質的に多国籍企業の現地法人で、グローバル本社の意向や海外のクライアント(ハイエンドブランド)の意向が理由で、追加費用がかかるにもかかわらず、カンボジアで太陽光発電を利用したり、汚水排出が少なかったり、断熱性能が高かったり、そういう建物を敢えて建築していたんですね。やはりカンボジアの地元の企業だと、そこまでやろうという資本力もないし、気力も出ないのでしょう。
現時点で6社しか存在しないのでその影響は限られますが、彼らがトランジション・マネジメントの理論における「フロントランナー」となって、グリーン建築を拡大波及するポテンシャルは高いと思います。
ナランさんは実はカンボジア政府の環境省の職員で、今月帰国するので、今回の知見をもとに、フロントランナーからの拡大波及に勤しんでもらえれば・・・と期待しています。
その後、EV普及について、経産省・環境省やメーカーが登壇するパネルディスカッションを拝聴したのですが・・・やっぱ経産省というか日本の産業政策はダメだわ・・・と確信を強めました。
2024年6月8日
北軽井沢って、てっきり軽井沢町のなかにあるもんだと思ってたのですが、県境も超えて群馬県長野原町に存在するんですね。で、いろいろ調べてみると興味深い場所なので、実際に行ってみました。
はるか昔は草津温泉の交通の便が悪くて、なんと軽井沢から軽便鉄道が伸びていたそうです。大正時代に、この鉄道沿線に法政大の学長が別荘を構えたところ、お気に入りになったそうで、学長の意志で法政大教職員限定の別荘地「大学村」を開墾して分譲されたそう。そしてその最寄りの地蔵川停留所に駅舎を建てて寄付して「北軽井沢駅」にアップグレードしたそうな。
この軽便鉄道は昭和30年代に廃止されたそうですが、いまでもバスやお土産屋さんなどに「草軽交通」の名前が残っていました。で、北軽井沢駅の駅舎は保存されているので見ることができるのですが…
駅舎には「H」の文字がデザインに取り入れられていて、ここが法政大のショバだったことがよくわかります。
またこの周囲はいまだに「大学村」と呼ばれているようで、自治会も「大学村組合」みたい。
とはいえ戦前の開発ですし、もはやいろんな人たちに土地は譲渡されたのでしょうか、パッと見た感じ、駅舎以外には法政大の影響はあまり感じませんでした。
とはいえ、大学教員たちが避暑地で読書するために別荘地を開墾・分譲しちゃうなんて、とんでもなくロマンチックな歴史のように感じます。
平成以降は「若手研究者の苦労」だの「日本の論文生産力の低下」だの、昨日は国大協が法人の窮状を訴えて記者会見だのと、大学界隈では世知辛い話ばっかし聞かされますが、学長が知の涵養のために別荘地を開墾してしまう大正・昭和初期って、ロマンチックが止まらないなぁ…と北軽井沢の地でしみじみとしました。