2024年8月31日
昨日は愚息が早朝の便で北海道に行くので送迎。
自分は西へ飛ぶことが多いのでP1ばかり使うのですが、この日はP2。

P2って出口から湾岸線北行きへ向かう場合には、いったんP1のほうまでグルっとまわって改めてターミナル前を通過しないといけないのが、なんか面倒っすね。しかも空港の案内看板では、P1の裏を回るルートを指示されるのですが、そこまで行かずに、手前の赤い橋のところの交差点で右折しても首都高の入口にたどり着けそうだし・・・やっぱ、慣れないルートは運転がちょっとストレス。
で、中も微妙に違うんですよね。いちばんびっくりしたのが、トイレの男女が各階ごとに異なること。確かP1は全フロアに男女それぞれのトイレがあったと思うのですが・・・。

あと5階が予約専用フロアになっていて、一般車は入場できないこと。4階にターミナルビル連絡橋があって混んでいるので、5階に行こう・・・と行ってみたら入場できず、6階は屋上!当日は雨だったので結局3階に戻りました(汗。
なんでこうも微妙に違うのかといえば、P1とP2で経営する法人が異なるからだと思います。P1に慣れた人はP2をつかうとき、ちょっと注意したほうがよさげです。
2024年6月8日
北軽井沢って、てっきり軽井沢町のなかにあるもんだと思ってたのですが、県境も超えて群馬県長野原町に存在するんですね。で、いろいろ調べてみると興味深い場所なので、実際に行ってみました。
はるか昔は草津温泉の交通の便が悪くて、なんと軽井沢から軽便鉄道が伸びていたそうです。大正時代に、この鉄道沿線に法政大の学長が別荘を構えたところ、お気に入りになったそうで、学長の意志で法政大教職員限定の別荘地「大学村」を開墾して分譲されたそう。そしてその最寄りの地蔵川停留所に駅舎を建てて寄付して「北軽井沢駅」にアップグレードしたそうな。

この軽便鉄道は昭和30年代に廃止されたそうですが、いまでもバスやお土産屋さんなどに「草軽交通」の名前が残っていました。で、北軽井沢駅の駅舎は保存されているので見ることができるのですが…

駅舎には「H」の文字がデザインに取り入れられていて、ここが法政大のショバだったことがよくわかります。
またこの周囲はいまだに「大学村」と呼ばれているようで、自治会も「大学村組合」みたい。

とはいえ戦前の開発ですし、もはやいろんな人たちに土地は譲渡されたのでしょうか、パッと見た感じ、駅舎以外には法政大の影響はあまり感じませんでした。
とはいえ、大学教員たちが避暑地で読書するために別荘地を開墾・分譲しちゃうなんて、とんでもなくロマンチックな歴史のように感じます。
平成以降は「若手研究者の苦労」だの「日本の論文生産力の低下」だの、昨日は国大協が法人の窮状を訴えて記者会見だのと、大学界隈では世知辛い話ばっかし聞かされますが、学長が知の涵養のために別荘地を開墾してしまう大正・昭和初期って、ロマンチックが止まらないなぁ…と北軽井沢の地でしみじみとしました。
2024年4月20日

もう2か月以上前ですがプノンペンに出張に行った際にスーパーで見かけて買ってきた三養のブルダック・ポックンミョン。この黄色いのは日本で見かけたことがなかったので新種かと思い、わざわざカンボジアで買ってきました。

クアトロチーズ味だそうです。食べるのをすっかり忘れていたので、きょうの昼ご飯で実食。

チーズらしき粉末の袋が入ってました。

で、実食ですが・・・・うへぇ・・・辛いっす。
ひと口目は「これ、罰ゲームやん」って感じですわ。とにかく辛い。「なんでまた볶음면買っちゃったんだろう・・・」と後悔。
しかし二口目から、「あれ、旨いかも・・・」と感じ始め、食べ終わる頃には「いやぁ、旨い」と納得。舌が辛いのに慣れてくるんですかね。
とはいえ食後はなんか胃が凭れる感じで、やっぱし後悔。うーん、たまに食べたくなって、ついつい買ってしまうわけですが、やっぱし辛すぎるかなぁ。