2017年11月22日
指導しているバングラデシュ出身の留学生(日本語話せない)が商店街のリサーチをしたいということで、どこの商店街を視察・勉強すればいいかなと悩んでいたのですが、青山先生&早坂都議にご紹介いただき、昨夜、高円寺の商店街に伺ってきました。
聞き取り調査前に1時間ほど、学生と「まちあるき」したのですが、僕が想像していた以上に面積が広く、また栄えていたので、かなり驚きました。
個人的に気になったのが、「若い人たち」がやっていそうな店舗・レストランがかなり存在したことです。
もちろん、6mの狭隘街路に昔ながらの肉屋さんや魚屋さんが立ち並んで賑わっている、いかにも商店街という感じの場所もありましたが、それ以外の少し人通りの少ない商店街でも、カフェやバー、はてまた何を売っているのかよくわからない怪しい店など、通りに面して「何か」店が開いている状態が続いていました。要は「寂れたシャッター街」が見つからなかったということです。
南口の駅から少し離れたルック商店街というところでは、昔ながらの電気屋さんと若者向けの古着屋さんが共存して栄えているという、興味深い風景を見つけることができました。パッと見た感じはただの商店街なんですが、商品構成やディスプレイをよく見ると、かなりオシャレなストリートに仕上がっています。
結局、高円寺の街を歩いてみた感想は、昔から店を営んできたオーナーが若者たちへ積極的に店舗を貸すことで、街が盛り上がってるんじゃないかな?ということです。店舗部分をわざわざ貸さなくてもアパート経営などで十分生活できるオーナーも多いんでしょうが、敢えて貸してるんじゃないか、あるいは貸すことを後押しているグループがいるんじゃないかなという気がします。だからこそシャッター街にならず、若者を呼び込めるおもしろい街になってるのかなと思います。新宿から近いですしね。
それにしても、自分はショッピングモール依存の郊外生活がデフォルトなので、高円寺のまちあるきは刺激的でした。
2017年6月14日
先日、国会図書館のデジタルアーカイブで、「江戸切絵図」を眺めていたところ、職場近所(駿河台)の地図に意外なものを発見しました。
どうやら、自分の研究室のすぐそばに「松浦金三郎」氏なる方がお屋敷を構えていた模様。そういえばこのあたり、用事がないので訪れたことありませんでした。ということでちょっと散歩。
かなりいい加減な推測ですが、たぶん、中央労金の本社ビルや駿台予備校3号館のあるあたりが、松浦さんのお屋敷だったのかな、と思います。中央労金のビルは建替え中の様子。工事中に「金三郎」さんの遺品とか出てこないのかなぁ?
そしてお向かいはなんと明治大学の猿楽町校舎でした。2008年に移転するまで、付属高校の校舎だったんですね。
校舎の脇に、ものすごい急な階段があります。そういえば、高校生の頃、駿台の夏期講習(高橋善昭の英語)を受けて、この坂を下って、「いもや」で天丼かとんかつ食って、神保町駅から横浜の自宅へ帰っていたような・・・。
この坂、「男坂」なんて名前だったんですね。今日まで知らなんだ。
2017年3月22日
自宅はいわゆる新興住宅街にあるのですが、近所を見回してみると、僕と同世代か、少し若いくらいの子持ち世帯が、数多く転入してきています。愚息の通う小学校も教室不足になり、プレハブの仮校舎を増設するほど。
しかしまた同時に、市内には最近、廃校になった小学校もあります。その小学校が存在する地区も、似たような住宅街ではあるのですが、建ち並んでいる住宅のデザインをぱっと見た感じ、1970年代から80年代に造成された地区ではないかと思います。
この2つの地区を対比してみると、郊外の住宅地開発のライフサイクルみたいなものが、なんとなく見えてきます。
区画整理などで住宅地が「生」まれると、良好な子育て環境を求めて、30代の若夫婦が殺到します。その後20年ほどして、子供たちが巣立っていくと、残されるのは高齢者たち。30代の若夫婦が2世帯居住できるような土地を買えているはずもないので、結局、100平米強の土地に建つ、築30年くらいの戸建て住宅に、高齢者夫婦がポツンと暮らすことになる。定年を迎えた人々は、東京への通勤から解放され、手持ち無沙汰で街をウロウロしはじめる。そして高齢者がらみの活動が増えると同時に、トラブルも増える。さらに20年ほどすると、亡くなる人や老人ホームへ移る人も増え、単独世帯や空き家が増加する。その空いた土地に若い世代が転入してくればよいのでしょうが、高齢者だらけの街は、新興住宅街に比べて自由がなさそうで、魅力がない。40年前には新築だった地域の小学校だって、老朽化著しく、廃校になってしまっているかも。こうして、住宅地が「死」を迎えるのかもしれません。
もちろん、現実には、いわゆるド田舎の限界集落だってそう簡単には消滅しないように、街が「死」を迎えることは、まず、ないでしょう。「リノベーションまちづくり」と称し、このように衰弱した街を生き返らせようとする取り組みも、最近増えています。高齢者がお互いを支えあいつつ、若者をなんとか呼び込もうとする取り組みも、かなり増えているのではないかと思います。
とはいえ今後、確実に人口減少が進むなか、需給バランスを考えれば、衰弱しきった住宅街が増えていくのは必然でしょう。いまだに区画整理で新興住宅街が整備されているわけですから、郊外の住宅街は、リノベーションしたとしてもかなり不利な立場にあります。
結局、30代のファミリー世帯を一気に呼び込む郊外型の住宅地開発は、そもそも持続可能ではないのでしょう。逆に考えると、住宅地をゼロから開発するのであれば、人口の出入りを将来にわたって安定させる仕掛けが重要なのではないかと思います。需要の大きい30代向けのありがちな戸建住宅ばかり整備するのではなく、子育てを終えた50代後半以降のシニア層を呼び込める住宅、後期高齢者向けのサービスホーム、20代の若者向けの賃貸住宅・・・などなど、多種多様な層を呼び込む住宅地開発、要はある意味、”mixed development”が、住宅地の持続可能性を担保する上で、重要なのではないかと思います。当たり前といえば当たり前の結論ですが、住都公団による計画的大規模開発が最早あり得ない現在、そのような理想を実現する術はなく、結果として、30代向けの戸建住宅ミニ開発が横行するのが哀しい均衡解なのではないかとも思います。
残念ながら、30代のファミリー層向け新興住宅街が、自動車や家電といった耐久消費財のように生産され、消費されていくプロセスは、今後しばらくの間は続くのではないかと思います。このように「生」から「死」へと、いつかは「廃棄」される運命にある街を、いかに「リサイクル」するのか、いまから考えておくことが必要なのではないかと思う次第です。