2014年5月19日
最近、フロリダでアメリカン航空の旅客機と無人航空機がニアミスしたというのでニュースになりました。軍事用の無人機ではなく、民間のものだったらしく、運用ルールが曖昧なためにこういう問題が起きてしまったようです。
そこで気になっていろいろ検索してみたら、日本でも軍事目的の無人機がもうすぐ導入されるそうです。まずは米軍が三沢基地に配備するということで、反対運動みたいなのも起きているようです(三沢基地ってエシュロンがあるって噂のところですわな・・・)。で、日本政府も2015年度には偵察機を導入したいみたいで、概算要求に向けた動きが既にあるみたいです。
これからは無人機の時代がやってくるのか!と思ったところですが、実はすでに、日本は無人機先進国らしいです。
日本産業用無人航空機協会: http://www.juav.org/index.html
農薬散布や空中写真撮影などの無人機はかなり開発されているのですね。ニアミスなどの事故にならないのは、そもそも高度がかなり低いのでしょうし、いろいろきちんと対策を打っているのでしょう。
しかしこれから無人機がさらに導入されるようになると、農薬散布のような感じで自主的なガバナンスに任せておくわけにもいかなくなるでしょうね。ドミノピザに至っては、無人機でピザを配達する実験を英国で実施したみたいです(どの程度本気なのかは判りませんが)。
パイロットの育成も重要な課題になるんですよね。米国では無人機パイロットの能力開発やメンタルの問題をどうするか、調査研究が始まっているようです(MITの航空学科でそういう研究しているというニュースを先日見ました)。
あと、大半の旅客機にはTCASといって衝突回避装置の設置が義務づけられていますが、TCASはお互いに電波を出し合うことで衝突を回避できるので、そんなものついてない無人機との衝突は回避できません(もしかしたら軍事用無人機にはついてるのかもしれませんが)。日本では(というか世界中で)無人機に関する法規制は曖昧で、現時点では航空法がほとんど対応できていないようです。
それにしてもメディアがあまり話題にしていないのが気になりますが、無人機はこれからかなり大きな産業になるような気もしますし、いろいろトラブルも増えそうで、ガバナンスの構築が喫緊の課題のようにも思えます。
2013年12月21日
アイドルやスポーツ選手が好きな人たちどうしで語り合うとき、言うまでもない前提として、対象であるアイドルなり選手・チームなりが至高の存在で、それに対する批判を差し挟む余地はないわけです。「○○ちゃんかわいい。だってかわいいから。」という循環論法が成立するわけです。こういうのをファンジン的文法、と一時期は呼んでいたものでした。
まぁそれはそれでいいのでしょうね。その人たちが好き勝手議論しているぶんには、外野の人たちに迷惑はかからないわけです。
経済活動でも同じようなことが言えます。みんなが自由に取引できればできるほど、満足度の最大化を実現できます。
しかし、外部不経済といって、経済活動の当事者間では便益が発生するものの、当事者たちの周囲にいる人たちが迷惑を蒙る可能性があります。いちばんわかりやすいのが工業化に伴う公害(大気汚染、水質汚染など)で、生産者と消費者の関係だけをみれば、最小の生産費用で最大のアウトプットを実現することが理想であるものの、その過程で出る排気や排水が工場の近隣住民に迷惑をかけるので、生産者と消費者という取引の「外側」も大事だよね、ということになります。だからこそ、政府が規制をかけるわけです。
さて、昨今の政治問題も、左~右、反原発~原発推進、みたいな形で二極化が進んでいるようです。こうなると、各極を支持する人たちの間で、ファンジン的文法が紛れ込んでくるような気がします。「○○議員の言っていることは正しい。だって○○議員が言っているんだから。」という議論が成立してしまうのです。
これは非常に危険なことだと思います。
アイドルやスポーツはエンターテイメントですから、個人で好きなエンターテイメントを消費する自由があります。嫌なら見なければいい、買わなければいいわけです。外部不経済もあまりないでしょう(CMで不愉快なものを見せつけられることがある、ってくらいでしょうか)。
しかし政治は外部性の塊のようなものです。たとえば日本の現在の為政者が嫌いであれば日本から出て行けばいい、のかもしれませんが、それがどれくらい現実的な行動選択でしょうか?あるアイドルが嫌いならファンクラブを脱退すればいい、ということとはずいぶんレベルが異なる話です。しかも政府の存在意義のひとつが外部不経済への対応であることからしても、政治や政党をアイドルやスポーツ選手と同じように扱うのはおかしな話です。
とはいえ、昨今の政治家・政党等に関する言説が、このファンジン的文法を帯びてきているように思えて仕方がありません。しかも、右も左も同じような傾向にあるような気がします。
政治とSNSの接近が理由でしょうか?まだ考えは煮詰まってないのですが、社会として少し考えていくべきテーマだろうな、と思います。
2013年9月2日
日本国内の洋上風力発電は、銚子沖(千葉県)と響灘(福岡県北九州市)の2箇所で、1本ずつ風車を立てて実証実験が行われている段階です。欧州では、デンマークのMiddelgrundenのように、かなり前から洋上に風力発電の風車を建てているのですが、日本では漁業や港湾との調整などがイマイチ進まずに現状に至っているところです。
銚子沖は大雪の中、今年2月に見学に出かけましたが、今回、帰省ついでに響灘の風車を眺めに行きました。
北九州は土地勘がまったくないのですが、とりあえず若戸大橋を渡って、海のほうにでると、大きな埋立地があって、そこのあたりを市では響灘と呼んでいるみたいです。国から補助を受けているのでしょう。エコタウンということで、福岡大学の実験施設やら、電気自動車の実証実験サイトなどがありました。さらに、副首相でおなじみの麻生セメントの工場(普通の工場)もあったのはなんか笑ってしまいましたが。

で、埋立地の護岸のところに公園があって、大型の風車が並んでいます。何基か数え忘れましたが、けっこう、壮観です。沿岸の風車でも近寄れないように柵で囲ってあることも多いですが、ここの風車は支柱の根元までかなり近づけます。真上で巨大な風車が、ブゥン、ブゥン、と風きり音を出しながら回転する雄姿は典型的な産業景観と呼べるでしょう。この護岸は地元の人たちの釣り場になっているようで、平日昼間でもけっこう人がいました。
洋上風力ですが、この公園からも遠くに眺めることができました。しかし・・・

視角の問題かもしれませんが、洋上に立っているようには見えない(◎。◎;)
防波堤の向こう側にあるのでしょうか、突堤の先に櫓を立てて風車が立っているように見えます。しかしそれにしても、銚子のときにくらべて、「洋上風力」の風車という感じがしません。

で、事業者の電源開発のホームページを見てみたら、1.4km沖合に立地ということ。それに比べて銚子沖は3.1km沖合なんですよね。構造がずいぶん違いますので一概にどっちがいい、悪いとは言えませんが、見てくれだけで判断したら、銚子沖のほうが圧倒的に洋上風力という感じがします。