2018年2月7日
電車のなかで行動経済学者ダン・アリエリーの「不合理だからうまくいく」を読んでるのですが、その第3章が自分の(経済学ではなくて)政治学の仕事におもいっきり関係しているな、と気づいたので急いで以下メモ。
端的に言うと、人間は自分が労力をかけて創造したものに付加価値を与える、ということが実験で示されていて、筆者は「イケア効果」と呼んでます。イケアの家具も、面倒だけど手間をかけて自分で組み立てるから、その家具がもたらす効用以上の満足を与えてくれるとのこと。従来の経済学であれば、家具がもたらす効用(利用価値)がすべてで、誰がつくったかは不問とする(交換可能、無差別)わけですが、筆者の実験は、「自分がつくったかどうか」に大きな意味があることを反証として示しているわけです。
で、これって、自分が仕事で関わっている「市民参加」とか「参加型まちづくり」とかの有用性を証明しているような気がするのです。政策がもたらす効用だけ考えれば、頭のよい技術官僚が政策の最適化問題を解いて実行すればよいはずです。実際、そういう政策形成過程が効率的で理想的だと考えている人たちも少なくありません。
従来、「市民参加」の必要性を政治の理論として説明する場合には、「政策で解決すべき問題は何か?」や「政策によってどのような社会へと誘導したいのか?」の定義が人によって大きく異なるので、その定義づけはステークホルダー等の参加や交渉で行うべきだ、という説明が一般的だったかと思います。アジェンダ・セッティングの民主化要求、あるいは官僚主導に潜む暗黙の前提に対する批判、といったところでしょうか。
しかし、アリエリーの「イケア効果」を踏まえると、別の方角から「市民参加」の必要性を主張できそうです。国民等が政策をつくる過程に参加することで、「自分がこの政策をつくった」という感覚をより多くの国民にもってもらえれば、政策のよしあしは別として、参加した人たちの満足度は高まるはずです。政策そのものがもたらす満足度だけでなく、政策を自分でつくったという満足度も評価指標に取り入れれば、参加というひと手間をかけることも、トータルとして政策の満足度向上に貢献すると言えるのではないでしょうか。もしかすると政策そのものがもたらす満足度が少し低かったとしても、自分がつくったという感覚で補填されるのであれば、トータルとしてプラスになるかもしれません。
とはいえ、個人が組み立てて利用するイケアの家具と違って、政策の場合は不特定多数の市民・国民などに影響を与えるので、ほぼ全員が「参加した」実感がなければ、参加できるヒマな人たちだけが利益を享受することになりかねないので、注意が必要でしょうがね。