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2013年7月17日

地球研での研究会

本日は京都の地球研での研究会に参加して、共同事実確認の必要性などについてお話ししてきました。アメリカやフィリピンの研究者が多数参加していました。

京都は全く土地勘がないので、駅探を頼りに京都精華大前駅へ電車で行くつもりでしたが、直前になって、地下鉄とバスを乗り継げばかなり速く行けることが発覚。烏丸線で終点の国際会館前まで行って、駅前のバスターミナルから40番か50番のバスに乗れば10分くらいで地球研前というバス停に着きました。

周囲は確かに山奥って雰囲気なのですが、京都駅から電車とバスで計30分で着いちゃうので、田舎に来た気分は全くしませんでした。東京駅から30分移動しても、たぶんビルが立ち並んでる街並みでしょうからね。京都ってこじんまりしてるんだな、と気づかされた次第です。

IMG_20130717_181111.jpg

カテゴリ: 未分類 — admin @ 6:36 PM

 

候補者選びの2つの視点

選挙の目的はなにか?

人によっていろいろ見解があるとは思います。個人的には、議会という利害調整の場に送り込む自分の「代理人(agent)」を選任することが主目的だと思います。あなたが選んだ代理人が、あなたに代わって、国会など公式の場、あるいは非公式の場で、交渉するのです。

交渉の代理人を選ぶとき、2つの視点があります。1つは、あなたの利害関心を代表してくれるかどうか、です。たとえばもしあなたが、原発再稼働反対なら、国会等でも再稼働に反対する人を選ぶべきでしょう。2つ目の視点は、交渉上手かどうか、です。たとえ、利害関心が一致していても、交渉が下手、つまり政策を実現できなかったり、非効率な政権運営をしたりするような人は、選ぶべきでないでしょう。

この2つの視点、いずれも重要ですが、前者よりも後者に重きを置いて投票することは間違っているかと思います。ある政党や議員が、たとえ交渉上手であったとしても、あなたの利害関心を代表しないのであれば、あなたが嫌なことを上手に実現してしまうので、あなたにとってマイナスにしか作用しません。

メタな視点からの選択、つまり利害関心の一致よりも、交渉能力にもとづく選択のほうがスマートのように思われるかもしれません。確かに、会社の採用プロセスのように、交渉能力(業務遂行能力)に基づき代理人を選任した後で、自分の利害を増進すべく代理人(新入社員)に行動させるため、個別具体的な指示をできる場合には有用でしょう。しかし選挙後に国民が政権に対して個別具体的指示を出すことはできません。

政権運営能力だけをウリにして、政策の内容は個別具体的なテーマごとに国民参加の議論を行う、という政党が出てきたら話は別ですが。

で、次の選挙でも、自分の利害関心とできるだけ一致する政策を掲げる政党に投票するのが原則かと思います(もちろん、政権運営能力も考慮すべき要因のひとつではありますが、利害関心の一致にプライオリティを置くべき)。

そういう意味で、ボートマッチというシステムはとても有用かと思います。システム自身の問題はいろいろあるでしょうが、自分の利害に即した政党の選択を支援してくれるわけです。

昨日、自分もボートマッチをやってみて、自分の想定とかなり違う結果がでました。なんでだろうな、と考えてみたら、結局、自分が政権運営力のほうばかり見ていて、政策のことはあまり気にしてなかったのかもしれないな、と気づかされた次第です。


カテゴリ: 未分類 — admin @ 7:16 AM

 

2013年7月10日

スマートメーターのテクノロジーアセスメントが必要かも

今日はリヨン大学の若手研究者と話していたのですが、当初想定よりおもしろい方向に議論が進んだのでメモっておきます。

グリーンイノベーションということで、エコシティにおける、スマートメーターによる市民参加というアイディアを持ち込んできました。

曰く、スマートメーターで、自分の好きなエネルギー源を選べるようになれば、コストだけに依存しない消費者の選好をダイレクトに市場に反映させることができるのだから、市民のエンパワメントになるし、エネルギー政策に対する市民参加になるという仮説があるということ。

私としては、市場に委ねると、各アクターの影響力がその資本力等に応じて差が生じる(大量に電力を消費する者の意向が強くなる)のだから、現状よりもdemocraticではない方向に進むのではないか、むしろひとり一票を持つ国民の意思に基づいて政府が規制をするほうが(いろいろ問題があるとはいえ)democraticではないかと反論しておきました。

また、各家庭のエネルギー使用量を詳細にモニタリングするシステム(HEMS)について、欧州では「政府による監視」を怖れて導入を嫌う人が多いそうです。生活パターンを監視されるので、健康食品や保険商品のセールスに使われる危険があるわけです。しかし、日本の現場でそういう反発は少ないそうです。日本の「環境」というdiscourseのなかでは、「民主的」、「自由」といったthesisの立場が弱いのでしょうね。で、そういう意味で、日本におけるHEMSは、一種のパノプティコンじゃね?って議論を、今日の訪問者としていました。

本当はHEMSについてテクノロジーアセスメントが必要で、市民社会組織が警鐘をならす必要があるのでしょう。

しかし、そんなこと言ったら、「サステナブル社会のために必要なイノベーションを妨害しようとするのかコノ くぁwせdrftgyふじこ… 」とブチ切れるオッサンの姿が瞼に浮かびます。


カテゴリ: 未分類 — admin @ 4:57 PM