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2013年7月4日

ハーレンの暴動の研究

Facebook birthday invite leads to mayhem in Dutch town, authorities say – CNN.com.

この事件で、なぜこんな暴動へとエスカレートしたのかを「研究」した発表を聞いた。行政側に予見する能力がなかったことが問題で、マニュアルなどをつくってもだめで、こういう状況に即応できるガバナンスが必要とな。

ペーパーが提出されてないので中身がよくわからんのですが。

62_The Dynamics of Escalation in Policy Conflict


カテゴリ: Public policy — Masa @ 10:42 PM

 

The More We Know (Klopter and Haas, 2012)読了

NBCとMITが協力して開発したweb教育コンテンツのiCueの『失敗』を記述したというので、新刊で自分の専門分野じゃないけど、読んでみた。

読み物としてはおもしろいです。

最初にダメ出しするとすれば、いくつかの章は不要というか、誰かのPh.D.論文そのまま使ってるんじゃないの・・・と言いたくなるような内容。また、MIT Pressからの出版前にあわてて理論的な解釈をつけたんじゃないの?という雰囲気が濃くて、付け焼き刃のようにロジャースのDiffusion of Innovationの枠組みを使っているのも、なんだかなぁ、という感じ。

で、おもしろいのは何かというと、このiCueなるシステムが失敗した理由のひとつが、私なりに解釈すれば、教育業界の規範や文脈とあってなかったということ。教育というのは規範が強固な業界なのでしょうね。未来を見据えた新たな教材を導入しようとしても、現状の規範と適合しなければ、すぐにrejectされてしまうみたいです。他の業界なら、技術導入を通じて規範が変容することもあるのでしょうが、教育業界は、この規範が非常に強固なのでしょう。強固な理由もわからなくはありません。

もうひとつの失敗要因として、ターゲットオーディエンスが不明瞭で、開発途上でブレたこともあげられています。最初は、Advance Placementを希望する高校生というニッチなセグメントを狙っていたのに、収益確保のために教員や組織としての高校を対象に含めようとして、八方美人なシステムになってしまい、逆に各セグメントにとってのウリを失い、魅力的でなくなったそうです。

前者の問題については、トランジション・マネジメントの思想が必要だったのでしょうね。そういえば、来週12日、トランジション・マネジメントのセミナーやります(笑)。で、後者については、自分のやってるいろんなプロジェクトのマネジメントでも問題になってて、結局、誰が狙いなのかをハッキリさせないといかんな、と自戒するところであります。

読み飛ばしたくなる章もいくつかありますが、イノベーション、特に教育業界のIT化に興味がある人は、読んで損はないでしょう。


カテゴリ: Public policy,Science/Technology Policy — Masa @ 10:11 PM

 

2012年10月22日

質的研究の課題:第40回環境システム研究論文発表会で発表

さる10月21日に和歌山大学で開かれた土木学会の「第40回環境システム研究論文発表会」で発表してきました。発表内容は、2011年度の東京大学公共政策大学院「事例研究(政策プロセスマネジメント)」ゼミの成果で、「農業分野の気候変動適応策検討のためのステークホルダー分析の提案」について発表してきました。

埼玉県の児玉地域、川越地域の農業について調査したのですが、結論としては、気候変動適応よりも、後継者、農業経営がより喫緊の課題で、長期的な気候変動についてはサプライチェーン上のほとんどのステークホルダーが関心を持っていない、ということでした。提案としては、気候変動適応化研究を行うにしても社会実装を目論むのであれば、実装において協力が必要となるステークホルダーの利害関心把握が有用であること、環境省単独ではなく農水省、経産省、その他関係省庁を巻き込んだガバナンスの形成が必要であること、などになります。

で、質疑応答のなかで、ステークホルダー分析の客観性・有意性について問われました。というのも私以外の発表は因子分析など統計的手法を用いていて、私たちのステークホルダー分析で出てきた結論がバイアスがないことを同じように確認したいというのは、当然のことなんだと思います。

私の回答としては、1)調査主体が農業や気候変動いずれについても特に強い意見を持っているわけではなく、結論を誘導することに利害関心がないこと、2)芋づる式で対象者を探して飽和してるので、十分網羅したと考えられること、3)統計上の有意性はないかもしれないが、質的研究によって新たな論点が提起されることが、社会に便益をもたらすのであれば、それは研究として意義があるのでリジェクトすべきでなかろう、という3点かと思います。

quantitativeとqualitativeの問題は一種の科学パラダイムのようなものでしょうから、今後とも、いかにお互いを認めて、共生しながら相互に高めあうか、そこがキモなのではないかと思います。

IMG00581.jpg
広々とした和歌山大のキャンパス

カテゴリ: Environmental policy,Public policy,Science/Technology Policy — admin @ 2:31 PM