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2023年1月4日

米国連邦政府は水素生産にもテコ入れし始めた

米国がバイデン政権になって2年が経ち、脱炭素の動きが当然のように加速(というか遅れを取り戻)し始めておりますが、インフレ抑制法(IRA)に基づく再エネ発電と水素生産に対する税額控除導入がゲームチェンジャーになりそうとのこと。

CAN THE INFLATION REDUCTION ACT UNLOCK A GREEN HYDROGEN ECONOMY?

再エネ発電はkWhあたり2.6セント、水素生産は1kgあたり3ドルの税額控除を2023年から10年間受けられるようになるはず、のようです。FITに比べればたかが知れた金額かもしれませんが、ややこしい手続きなく、単純にkWhあたりで確実に税額控除を受けられるのであれば、キャッシュフローの予測もしやすいですし、技術もその時点・場所で最適なものを使えばよいので、ガバナンス・メカニズムとしては雑駁なようでいて実は投資誘発の効果が大きそうです。

また再エネ発電と水素生産を組み合わせる、つまり風車の下で水素生産を行う事業を始めたら、両方の便益が受けられるそうです。なので、いわゆる「グリーン水素」への転換が進むのではないかという話にもなってきているそう。自動車はBEV化の方向へと舵が切られつつあり、FCVはパッとしなくなってきましたが、工業生産やメタネーションなど水素はいろいろな場面で必要になるでしょうし、ちゃんとそういうところにも大胆に投資できる米国というのはすごいなぁ・・・と日本で指をくわえて見ているしかないのはツラいですね。

 


カテゴリ: Environmental policy,Science/Technology Policy,Transition — Masa @ 8:34 AM

 

2021年1月21日

「情動の10年」の終わり

バイデン大統領の就任演説を聴いていたら、なんかいろいろ、トランプ政権が悪かったのではなくて、「感情の赴くまま」を容認どころか大歓迎しているかのような世界こそが本当の「悪魔」なんじゃないかと思えてきました。

意見が違っても対話することの大切さも演説で強調されて、それこそがdemocracyだ、と言っていたように思います。

とはいえ、感情(情動)は、意見の違う人と話すことを忌避します。だって面倒だし疲れるから。

それを克服してきたのがこの二千年くらいの文明ってやつなんじゃないでしょうか。新約聖書だって妬みなどの感情を抱くことを戒めています。

しかしこの10年くらい、感情(情動)の重要性が、いろいろな側面で強調されてきました。というか理性と感情の不可分性も、科学的に議論されてきています。ナッジだって一種の情動を利用した社会工学なわけです。

自分はもともと、なんでもかんでも効用最大化、最適化問題を解くことこそが交渉による合意の本質であり、感情の排除こそが社会をよくすると思ってたので、無機質な交渉分析を前提に、ずっと授業や執筆をしてきました。

しかし、過去5年くらいはちょっと違うところもあるよなぁ、と、感情や共感みたいなものをかなり模索するようにしてました。

とはいえ、今日になって、やっぱし、感情に赴いては人間は終わりだ、とまた、方向転換が自分のなかで始まった気がします。

確かに人間なんて、所詮、ただの動物なので、脳のなかなんて、感情に支配されているのでしょう。しかし、そこで「立ち止まる」能力こそが人間を人間たらしめているわけです。

じゃぁなんでこの10年で人間が大幅な退化をしたのかといえば、やはり、「人々を感情になびかせることで利益を得る人々の台頭」なんじゃないかと思います。

それこそドナルド・トランプじゃないか、と思うかもしれませんが、トランプは結果であって、原因は別のところにあるのではないでしょうか。ひとつは、ソーシャルメディアというか、ネット広告というか、たぶんいちばん悪いのはYouTubeの広告料というか、熟慮のない感情的な判断を促すことを報奨するシステムがいつの間にか出来上がってしまったことでしょう。

これからの10年は、人々がいかに感情的な反応を抑えて、冷静にものごとを考えられるように、元に戻すのか。それを人類社会が2020年代にできれば、たぶんホモサピエンスはこれからも持続可能なのでしょう。逆に、2010年代のような「情動の10年」がこのままダラダラと続けば、ディストピア一直線なのかもしれません。


2020年2月21日

インスタによる旅行の記憶の外部化とそのリスク

先月、ロッテルダムからDerk Loorbach先生にいらしていただき、金沢市でレクチャーしていただいたのですが、そのときのこと。金沢駅前の鼓門のところで、観光客がみんな写真を撮っているわけです。スマホが普及したこと、インスタグラムが大流行なことで、「観光」の目的が、スマホで写真を撮ってインスタにあげること、になってきたんじゃないかと思えてきました。

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そんなことをDerkと雑談していたら、彼の友人のラジオパーソナリティが、番組でおもしろい問題提起をしていたと教えてくれました。みんなが旅行中、なんでもスマホで写真を撮るようになると、その映像を自分の脳で記憶する必要がなくなり、スマホのメモリに記憶してもらえばよくなるわけです。結果として、自分が旅行でどこに行ってどんな経験をしたのかという情報も、自分の脳内には記憶として残らなくなってしまい、スマホで検索しなければならなくなる。そしてもし、スマホが壊れちゃえば、どこに旅行したかも覚えてない事態に至る・・・なんて話をラジオでしていたそうです。

これは「記憶の外部化」と言われる問題で、何もインスタに限った問題じゃないかもしれません。昔の日本人だって旅行するときにはカメラを首からぶらさげて、写真を撮るのに夢中になる、というのがカリカチュアとして存在してたわけで、現像した写真がなくなっちゃうと、どこに行ったのか忘れちゃってたかもしれませんね。いまでも、昔の写真を見つけると、「ああ、そういえばこんなところに行ってたなぁ」なんて思うこともありますよね。

とはいえ、スマホが広まったことで、旅の記憶の外部化がさらに進んだことは間違いないのではないかと思います。そして、たとえばインスタのアカウントが消えてしまうと、自分の旅の記憶も消えてしまう、という時代が来ているのかもしれません。

そう考えると、インスタ(や他のSNS)に敢えて投稿しない旅、というのもこれから逆にトレンドになるかもしれませんね。

自宅が泥棒に入られるリスクも減りますしね。


カテゴリ: Science/Technology Policy,Travel — Masa @ 4:29 PM