2013年10月8日
Soulardarity
ミシガン州では行政の予算不足でかなりの数の街灯の運用を停止してしまったそうで、それに対抗して、grassrootsの市民団体が、太陽電池による街灯の整備を自ら始めているとのこと。
どこの国でも「非効率で過剰な公共サービス」が問題視され、削減の方向に向かっているのは間違いないでしょうが、街灯を消してしまう選択肢は、自動車に乗って移動できる人々を利して、歩行者を不利な状況に立たせるという、明らかに格差の拡大を助長する政策でしょう。
明らかに非効率な公共サービスの効率化はもちろん必要でしょうが、公共サービスとして最低限確保するサービス水準やその内容(特に再分配・セーフティネットの手段として)については、よくよく考える必要があるはずです。そこらへんの熟議をなおざりにして、行政を矮小化させて、新自由主義一直線で突っ走ることは、きわめて危険な選択でしょう。
そのときに、お互いに耳を傾けずに極論を主張しあっても埒が開かないでしょうから、市民運動として、行政の機能をoccupyしてしまうのは、なかなかスマートな選択肢ではないでしょうか。もちろんフリーライダーをどう排除するかといった諸問題は論理上は発生するのでしょうが、そもそも何もないカオスの状態でガバナンスの最終形について論理的な議論をしても空虚なわけです。まずは公共性の再構築というプロセスをtriggerして、その過程で発生する諸問題を追体験していくという、このようなインフラ整備市民運動には、大きな意味があるような気がします。
2013年8月5日
脱法ハウス:増える女性専用…元住人「低収入、親頼れず」- 毎日jp(毎日新聞)
こんな記事をふと読みまして、シェアハウスという考え方が次第に「脱法ハウス」へと変容していく過程をネットでいろいろ見つけました。
要は、デカい家をsubdivideして多数の人々が劣悪かつ危険な環境で居住する、ってことでしょう。しかし法規制が曖昧なところもあって、取締りもあまりキチんとできてないみたいです。
脱法ハウスについてネットで見ていたらふと、NYCのtenementのことを思い出しました。19世紀の話ですが、ニューヨークには移民が多数流入したものの、もちろん土地なんてありませんから、ただでさえ狭いアパートに壁をつくったりして、大量の親族がすし詰めで住んでいたのです。そういうアパートをtenementと言って、劣悪な住居環境の代名詞となりました。そんなこともあって、いまでも、米国では都市部の住居環境についての規制がいろいろと厳しいわけです(しかし家賃規制はゆがんだ方向にいってしまっていますが・・・)。
日本ではtenementみたいな歴史的記憶がないから、脱法ハウスも必要かもね、って方向に議論が進んでしまうのかもしれませんね。いま脱法ハウスに住んでいるみなさんが所帯を持って、子供を含めて劣悪な環境で生活しなければ時代がくるかもしれないのに・・・。
2013年7月14日
科研費研究と科学技術ガバナンス講座の一環で、オランダのエラスムス大学オランダ・トランジション研究所長のダーク・ローバックさんと研究員2名が来日され、研究会や公開セミナーなどを実施しました。

金曜日夜の公開セミナーでは、トランジション・マネジメントについてイントロダクションとなる講演をお願いしました。小職は逐次通訳役だったのですが、トランジション・マネジメントの概念を理解する上でとても有益な場となりました。ただ、いくつか疑問点も残り、土曜日午前のクローズドのゼミで、democracyという側面でどういう配慮や影響があるのか、詰めて議論することができました。
トランジション・マネジメントですが、まずは、意思決定支援ツールではない、という理解が重要だと思います。自分を含め、いろいろな人々が、市民参加や熟議のプロセスを実践していますが、それらの暗黙の了解として、意思決定に対して何らかの形で情報を提供することが目的にされてきたような気がします。対照的に、トランジション・マネジメントは、人々が議論する場をつくってイノベーションを惹起することに主眼にあって、政府等の意思決定に有益なアウトプット(政策提言など)を生成することに軸足を置いていないようです。むしろ、サステナビリティ(持続可能性)を目標とした社会運動のネットワーク(一種の認識共同体かもね)形成のトリガーとして、トランジション・アリーナという議論の場をつくる活動をしているみたいです。
具体的には欧州5都市でMUSICというプロジェクトをやっているそうで、地域のリーダーなどを集めて、2050年のビジョンを描いてみたり、そこからいろんなアクターが具体的なアクションを起こしてみたり、などの動きがあるようです。