2015年11月4日
「『いいね』経済」バブルの問題
最近何かとクサれ気味の松浦です。なんか悪態つきたくなるのが中年オヤジの悪いところなのでしょうが、老化に伴うホルモンバランスの崩れってやつですかね。人間だもの、みつを。
最近どうもイラっとくるのが、いわゆる「ロハス」みたいな感じで、田舎の寒村とかで「質素」な暮らしをしながら小さな商いして村おこしになってるみたいな若夫婦のストーリー。みんな、なんでかしんないけど、揃いに揃って、無印良品あたりで売ってそうなボーダーのボートネックの長T着てるんだ。別に個別具体的案件があるわけじゃないんだけど、フェイスブックだの新興メディアだの見てると、そういうサクセスストーリーで溢れてるわけです。
ああいうのって、売ってる商品とか商売の本質ってそんなに価値がないものなんじゃないかな。結局、若干値段が高くても商売ができるのは、パッケージ、ネット上での「いいね」、有名人のendorsement、背後のストーリー・文脈で付加価値(非利用価値)をつけてるからなんじゃないかな、と思うわけです。結局、イメージ商売って意味では、AKB商法と大して違いはないんじゃないでしょうか。商品自体がもたらす価値よりも、おまけの価値の方が肥大化しちゃってる案件も、けっこうあるんじゃないかと思われるわけです。あ、ビックリマンチョコ大量廃棄なんて昔ありましたね。いまの小学生たちはビックリマンチョコなんて知らないでしょうが。
まぁロハス的なものであれば、商品自体の品質が高くて機能や耐久性が高いこともあるので、一概に否定するのもなんでしょうかね。ただ、再生産につながらない付加価値を消費することでおカネが循環する経済って、バブルになりかねないんじゃないっすかね、って言いたいわけです。みんながヴィトンのバッグを持ち歩くような経済ですな。
結局、そういう、「いいね」で価値を増すやり方っていうのはリスクが大きいんじゃないですかねー。厭きられたら一気に価値がなくなるわけだし。
一時期の「佐野研二郎デザイン」信仰なんかに通じるところもあります。田舎の山村は切羽詰まってて、なんでもいいからカネになるものは商売にしたい気持ちもわかるのですが、ブランドで価値を上増しするんじゃなくて、地域のオリジナリティがあるほんとうの価値は何かを見つめなおさないと、地方創生なんて、「いいね」バブルで終わるんじゃないっすかね。