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2022年12月3日

朝ドラ視聴の意外な盲点

朝ドラを毎日観れば、規則正しい毎日を送ることができるようになる、と思っていたが…

月~土はそもそも愚息らの登校に合わせて午前6時ごろに起床するので、全く関係なかった。

むしろ、朝ドラを観るまで仕事を始める気力が出ないので、午前8時までダラダラ過ごしがちになってきた。

よく考えたら、以前は午前7時半ごろには電子メールを見て普通に仕事を始めていたのであった。

こうして考えると、当初期待したのとは真逆の生産性低下に陥っている気がする…

生活パターンを見直さないといかんね。


カテゴリ: Entertainment,Life — Masa @ 6:53 AM

 

2022年11月23日

そんなに「共感」したいのか?

最近、某ドラマにハマっているのですが、結果として、Twitterのトレンド欄なんかで市井の一般人の感想めいたツイートを見かけることが多くなりました。

そのなかで先日、「共感できない。」みたいなネガティブな記述があり、おやおやと思いました。

「つまらない」とか「おもしろくない」とかいうのであれば素直な感想に思いますが、なんで「共感」なんてややこしい漢字を使うのでしょう。

一つには、自分の感情(情動)をそのまま表現すると頭が悪そうに見えるので、自分を客体化して、「共感していない」という状態をあたかも客観的に観察しているかのように表現することで、自分を賢そうに見せるという目的があるのかもしれません。

そんな表現を意図的に使っているのであれば、まぁ悪い話ではないというか、自撮りの加工などと同じ、「自分を盛る」手段でしかないので、本質的には「つまんない」と言ってるだけなんだと解釈すればいいのだろうと思います。まぁ言葉遊びというか、言語の可塑性というか。

問題はもう一つの解釈で、「共感できない。」と不満のツイートを書き込む人が、本気で、テレビドラマの制作者に対して、自分(たち)が「共感できる」ドラマを要求しているのかもしれません。

「つまんない」であれば、きわめて個人的な感想ですし、あくまでそのツイ主の心のなかに存在する気持ちの表現です。

しかし「共感」となると、「共」という漢字が使われているせいか、個人の心の中にあるものでなく、対象(この場合はテレビドラマ)との間に存在する間主体的なものを意味するように感じられます。

よって、「共感できない。」とは、ツイ主と制作者の間に「共感」が存在していないことを問題視するツイートだと解釈することもできるでしょう。

そのようなツイートが、暗に共感の生成を要求しているのであれば、それは、制作者に対して、「自分が心地よくなれるドラマにしてくれ」という要求なのではないでしょうか。

「つまんない」であれば単なる感想だし、制作者に対して改善を要求しているわけでもないので、ただのひとりごと(ツイート)で完結します。それが「共感できない」となると、「私に合わせた内容に変えろ」という制作者への圧を発生させます。

しかしその要求は、社会的にみて何か意味があるものでしょうか?

個人的には不機嫌な赤ちゃんの泣き声と同じ種類のものに聞こえます。

もちろん、劇場と同じように、テレビでも視聴者と制作者の間にリアルタイムな相互作用が可能となれば、それはおもしろいことだと思います。

しかし「共感できない」というツイートは、劇場での観客の笑い声やすすり泣き、あるいはヤジや掛け声ではなく、むしろあるひとりの観客がいきなり立ち上がって「もっと私に合ったストーリーにしてください!」と叫び出すようなものではないでしょうか。

なので「共感できない」という言い方をする人には、独善性というか、「私をもっと見て」「自分が好き」みたいな、ワガママな自我を感じてしまうのですよ。

言い換えると、共感の「共」は本来、制作者と多数の視聴者など、みんなの間に存在している共有されたものなのに、「共感できない」というツイ主は、自分と制作者の二者間で独り占めしてしているように見えるのかもしれません。

「共感できない。」というツイートへの違和感から少し考察してみましたが、やはり「共感できない。」という表現はできれば回避したほうが無難なんでしょうね。


カテゴリ: Entertainment,Media — Masa @ 7:30 AM

 

2022年10月13日

昼休みに連ドラ「舞いあがれ」を観れない

福原遥さんが主演だと云うので見始めた10月からのnhkの朝ドラ、まだ幼少期の話ということで、ぜんぜん彼女が出てこないのですが、なんかハマってしまいました。

で、べつに悲劇というほどでもなく、イナカのちょっとした日常が描かれているような話なんですが、毎回、不思議と泣けてしまうんですわ。

自分が小さい頃九州で爺さんに面倒見てもらってよく川に遊びに行っていたせいで、あの頃をふと思い出してしまう(セリフも九州の方言だし)からかなぁ、と思いつつ、ネットを見る限り、泣けてくるというのは自分だけの特殊事情でもなさそうです。

で、朝ドラなんですが、昼休みに食堂で昼飯食いながら見るサラリーマン、労働者ってけっこう、多くいません?昔はうらびれた食堂といえば、神棚のように天井近くにテレビが置いてあって、みんなメシ食いながらボケーッとNHKのニュースや朝ドラ再放送を眺めてる…ってイメージあるんですよね。

ということで、昼メシ食いながら「舞いあがれ」が流れてきて、みんな泣いちゃったら、午後からの仕事にすぐに手がつかなくなっちゃうんじゃないかなぁ、と余計な心配をしてしまいました。

そいえば自分もスポーツジムのランニングマシンで「ちむどんどん」見ながら小走りするのが習慣になってたんですが、今後は無理かもなぁという気がしています。どうかな。


カテゴリ: Entertainment,Life,Travel — Masa @ 5:58 AM