ホーム » ブログ

アーカイブ

検索


フィード


管理

2009年10月28日

電源三法よりもサステナブルな見返りの時代か

東芝が電気自動車に向け2次電池の量産工場を新設

このニュースはいい知らせだと思いました。以前から東芝が柏崎に工場をつくるという話はあったと記憶していますが、これはその流れなのでしょう。

柏崎刈羽発電所と直接の関係があるわけではないでしょうが、なぜあえて柏崎に東芝が?と考えると、やはり発電所の存在とまったく無関係だとは思えません。しかも電気自動車向け電池ですから、原子力発電でつくった電気を溜め込むための電池を製造することになるわけです。これだけ不景気なわけですし、大企業の企業立地は地方経済にとって重要な活性化材料。少なくとも柏崎市内では東芝は大歓迎されるでしょう。原子力発電に絶対反対の立場から見ると、原子力発電依存の経済構造(いわば「鉄の檻」)を一層強固にするものではないかと思われるでしょうが、柏崎の地域経済が心配な私としては、三法交付金などという不安定なシステムよりも、企業立地による雇用確保というサステナブルなシステムのほうがまだましではないか、と感じた次第です。もちろん、東芝一社依存になるとバーゲニングパワーを失い危険なので、柏崎市は日立なり三菱系なり、他社の誘致も推進したほうがよいでしょうが。


カテゴリ: Environmental policy,Public policy,Science/Technology Policy — Masa @ 9:10 PM

 

2009年10月20日

軽々しくウィンウィンというのはよくない

Win/Winというのは交渉学では重要な用語でありますが、あまりに気軽に使われるので、まじめに考えれば考えるほど、使いづらい用語です。流行語になることで、相互利益交渉の考え方が広まることは、一概に悪いとは言えないのですがね。

とはいえ、こんな形でここ数日使われているのは非常に不安です。

前原氏「羽田とともに発展を」 成田空港滑走路延長で式典
羽田空港「ハブ化」議論 鳩山首相「関空も含めてウィン・ウィン・ウィンの関係を」
前原国交相「羽田と成田はウィンウィンで」

どこの誰が入れ知恵してるんだか知りませんが、この言葉を軽率に使うのは非常に危険です。相互に利益があるような解決策を探すこと自体は間違いでないのですが、では、どれだけの恩恵が各当事者にもたらされるのか、という点については「ウィン・ウィン」という言い回しは考慮してません。極端な話、羽田に機能を集約して、成田が国際線廃止寸前でなんとか生き残る、というのもある意味ウィン・ウィンの関係でありえます。

ウィン・ウィンというのは、現状より両方ともよくなる、という意味ではありません。「Win」か、そうでないかの判断は、もし交渉/合意が破綻した場合に何が起きるかを想定した上で、その破綻状態との比較でよいか、悪いかということです。自然状態で放置した場合との比較で判断するものなのです。

ということは、成田を見捨てることが合理的かつボトムラインであるという前提に基づいて、政府がウィン・ウィンと言ってるのであれば、それは単に、少しは成田に国際線を残してあげるから、羽田にほぼすべてのフライトを集約するということを意味しているのかもしれません。個人的には、東京近辺の航空管制の脆弱性が心配なので、羽田集約は怖い気がしますが。

ウィン・ウィンなどと言われると、現状改善が前提だと誤解されがちですが、そういう意味ではないことに注意が必要です。逆に、ウィン・ウィンという言葉の意味の曖昧さを逆手にとって、自分にとって都合のいい合意を導き出そうとしている人たちの腹黒さが見え隠れするような気がします。「ウィン・ウィン」という単語を使うのであれば、誰が具体的にどういう利得を得るのかを、具体的に明示してから使うべきだと思いますし、それを明示・確約できないのであれば、うさん臭い、としか言いようがありません。


カテゴリ: Environmental policy,Negotiation — Masa @ 10:10 PM

 

2009年10月19日

科学技術と情報のガバナンス

なんてタイトルだと、大学院での講義のように聞こえるでしょうが、もっと身近な話題。

台風上陸地「愛知だ」「いや三重」 官民バトル大荒れ

気象庁が台風の通過経路についてウェザーニュースに噛みついてるらしい。確かに防災情報は国民の安全に関わる重要な情報だろうが、台風が三重に上陸だろうが、愛知に上陸だろうが、大した違いじゃないんじゃないか。気象庁の公式ルートだって、志摩半島かすってるじゃん。上陸しようがしまいが、この地域は危なかったんでしょう。結局、上陸したかしないかなんて、どっちでもいいことじゃないのか?ほんとうに国民の安全を心配しているのなら、こんな重箱の隅をつっつくようなことでとやかく言っている暇などないはずだが。

気象庁としても、自分の縄張りがどんどん浸食されていっているようで、そうとう焦っているのでしょう。彼らがイライラすればするほど、自分の無力さに対する焦燥感を露呈しているようにしか見えない。

しかもウェザーニュースは、サポーターという、一般市民からの情報提供をもとにしているという。いわば、ツイッターの天気予報版ってとこでしょう。もちろん、一般市民から寄せられた情報がマスヒステリーに基づくものだと怖いけど、まぁ、インタラクションをうまく設計すば、まぁまぁ信頼できる情報は得られるはず。

これまで、台風の進路というきわめて「科学性」の高い情報は政府だけが取得でき、そしてその情報特権こそが政府(気象庁)を権力者たらしめていたのだろう。そして、その特権を考慮した法規制が構築されてきた。しかし、いまや、民間でも工夫次第で科学性の高い情報を取得できる時代である。科学技術の専有こそが政府の情報特権の基盤であったはずだが、その基盤が消失してしまった今、政府に残された権力の拠り所は、旧態依然な法規制という空虚な枠組みでしかなく、それを使ってカラ威張りするしかないのだろう。こういう空洞化は、政府のあちこちで起きているような気がする。


カテゴリ: Environmental policy,Science/Technology Policy — Masa @ 10:31 PM