2011年5月9日
ツイッターが使えません。こんな画面が出てきます。
腹いせに自サーバのブログで
北京なう!
と叫んでみます。
追記:北京到着記
JL869便ですがほぼ満席。自分のところはExit Rowの特等席なのになぜか隣は空席。機内は成田トランジットと思われるアメリカ人大学生集団がうるさかった。黄海上で積乱雲に突入したようで雷がバンバン光っていた。当然、737は大揺れ。
空港到着はスムーズでした。入管もガラガラ。時間帯がよかったのでしょう。空港内にヒトケがありませんでした。
ロビーへ出て、ATMを探すも、なかなか見つからない。右側のほうへ進んでいくとHSBCと農業銀行のATMを発見するも、動きやしない。HSBCは停止中と出ているし、農業銀行はカード挿入してもWithdrawalというメニューが出てこない。しょうがないので逆側(ロビー出て左側のほう)へ彷徨うと中国銀行のATM発見。しかしこれも取り扱い停止中。どないなっとんねん。で、あきらめかけたところで、一番奥に「北京銀行」のATM群を発見。これだけは動いた。タクシー代ゲット。
ロビーで白タクの客引きがウザいという噂を聞いていたが、誰からも声かけられなかったぞ。自分が日本人に見えなかったかな。
タクシーは地下1階から出発ということで、行ってみたら・・・明らかに100名以上の大行列×2。タクシーがぜんぜん来ない。1時間以上待ち。でも、当然のように横から後ろから割り込もうとする奴らがいるのでブロックするのを楽しんでたら時間が過ぎるのは意外と早かった。
タクシーで北大博雅国際酒店へ。日曜日の夜11時なので道路ガラガラ。環状道から見える景色は典型的なアジアの大都市。宜家家居=IKEAもあった。思ったより安く百数元で着いた。「イーパイほにゃらら」と言ってた。で、百元札しか持ってないので200元出したらお釣りないよと怒られる。ホテルのフロントで両替してもらってなんとかなった。
今日の北京へのフライトは737-800。搭乗手続きを終えてギャングウェイに向かう途中で機体を見たら・・・。
コクピットに何か見えるぞ・・・おや?
(more…)
2011年5月7日
誰でも「規模の経済」の意味は知っているでしょう。生産規模を大きくすれば、1生産単位あたりの生産費用が縮減するという経済学の最も基本的な思想だと思います。産業革命以降、規模の経済の論理こそが、衣食住ありとあらゆる側面でグローバルな規格化(一律化)を推進し、現在となっては、世界中みんな似たような服を着て、似たようなメシを食って、そして似たような建物に住んでいるわけです。
規模の経済のみを前提とすれば、生産規模の拡大は絶え間なく続くでしょう。何でもかんでも、大量生産(マスプロダクション)が合理的選択となります。
電力供給についてもこれまで同じ論理で、システムが構築されてきたのではないでしょうか。少数の巨大原子力発電所により大量の電力を発生することで、品質やブランドによる差別化がほとんど起きない「電気」という商品を大量生産することは、規模の経済に適います。もちろん、原子力発電には放射性廃棄物の問題などの費用が伴いますが、放射性廃棄物も国内のどこか一箇所で集中的に大深度地下で管理することにより、(分散管理するのに比べて)規模の経済による恩恵を得られます。こうして、規模の経済の恩恵にあずかるべく、バックエンドまで含めた原子力発電という巨大システムが形成されてきたのでしょう。
この巨大システムへの信頼は、大津波という「想定外」の事態によって大きく損なわれました。
なぜ、規模の経済という合理的選択にもとづいて進められてきた電力システムの巨大化が頓挫したのでしょうか?やはり原子力にはスケールメリットがあって、今回のゴタゴタは一時的な政治的混乱に過ぎないのでしょうか?
私が考えるに、当たり前のことですが、規模の経済を追求すればシステムの巨大化につながり、結果としてアクター(ステークホルダー)の人数、組織数の巨大化へとつながります。このシステムが円滑に動いていれば、規模の経済という恩恵にあずかることができます。しかし、巨大システムには内在的リスクがあると言えないでしょうか。アクターの数が増えれば、コミュニケーションや指揮体系が複雑化するために情報の伝達や役割分担がシステムの想定どおり機能しなかったり、たった一人のアクターによるちょっとしたミスが連鎖的に巨大システムへと波及して甚大な被害をもたらしたり、さまざまなリスクが想定されます。また集合行為問題(Collective Action Problem)が発生し、モニタリングコストが莫大になるとともに、システム内のフリーライダー候補生も増えるでしょう。そして、生産拠点の数が限られるために1拠点での故障が大規模な被害をもたらす問題もあります。つまり、規模の経済が存在するとともに、規模のリスクも存在するのです(追記:要は規模の不経済なわけですがここではリスクに伴う費用として別立てで考えてみます)。
ここで、こんな図を考えて見ました。x軸に生産規模、y軸に1単位あたりの生産費用(単価)をとります。規模の経済を考えれば、生産規模を無限に拡大することで単価は縮減します。しかし同時に、規模のリスクだけを考えれば、生産規模が大きくなるにつれて、システム巨大化に伴う巨大システム障害の発生リスクが増加するために、右肩上がりの変数となるでしょう。ここで、規模の経済と規模のリスクを同時に考えると、どこかに費用最小化の「均衡解」があるはずです。
さて、原子力発電について考えてみましょう。これまで、私自身を含めて、原子力発電という規模のリスクをかなり低く見積もっていたのではないかと思います。
原子炉の運転に係る直接的リスクについては工学的手法で解決を図り、原子炉の改良が進められてきていますし、また、核燃料リサイクルまで含めても、すべて計画通りに動くのであれば、石炭などの化石燃料に比べればエネルギー源としてずっといいじゃないか、と思えます。実際にプロジェクトとして動かすときには、立地地域からの反対運動やそれに伴う許認可の遅れといった「投資リスク」が大きいわけですが、米国政府は気候変動対策として原子力発電を推進するために、この投資リスクを減らそうと、信用保証を出したり、許認可プロセスのストリームライン化を図ったりしてきました。ですので、投資リスクについても、政策的措置で対処しようがありました。
しかし、規模の経済に対抗する意味での「規模のリスク」について、原子力発電という巨大システムはどう、対応できるのでしょうか。
グローバル企業などのリスク管理については、これまでいろいろな手法が検討されてきて、実際にある程度機能しているのでしょう。こうして規模のリスクを縮減できれば、費用最小化の均衡解は右へ移動して、より大きな規模の組織がより大きな利益を出せるようになる(いわゆるグローバリゼーション)へとつながるのでしょう。
今回の原子力災害への対応として、巨大システムのリスク管理手法を導入することも一つの選択肢ではあるでしょう。たとえば、リダンダンシーを高めるためにコンピュータのサーバを分散配置するのと同じように、各都道府県に原子炉を1つ配置することにすれば、ある都道府県で何らかの災害等により原子炉を停止せざるを得ない状態に至ったとしても、電力供給が急減することはないでしょう。これは極端な喩ですが、原子力発電を維持するのであれば、システム全体を俯瞰した大胆なリスク管理対策が今後必要になるでしょう。東京電力管内の電力供給の1/3を福島県双葉郡と新潟県柏崎市・刈羽村という非常に限られた地理的空間に依存していることは、システムとしてのリスク管理が不十分じゃないかという気もします。ただし、リスク管理の対策を施すことで生産費用が増加するために、他の発電手段との比較優位を失う可能性があります。とはいえ、CO2排出削減も必要ないま、火力発電を増やすことも無条件で許容できるものではなく、どこでバランスをとるのかが大変悩ましい問題です。これは今後、冷静に検討が必要な分野だと思います。
もう一つの考え方は、電力の発電・送電・配電というシステム全体を見通して、規模のリスクの大きさについて再認識したうえで、エネルギー政策の方向転換を図ることもできるでしょう。スケールメリット追求の弊害は、今回の原子力災害だけでなく、北米でときどき起きる大規模停電にも見られます。発電手段それぞれの特性はとりあえずおいといて、電力供給の規模のリスクが実は大きいと考えれば、費用最小化の均衡解は左に移動する、つまり小規模で分散型の電力システムが最適解となります。いわゆるマイクログリッドや、発電の分散化を前提としたスマートグリッドなどが最適解ということなのでしょう。日本にとってこれらが本当に正しい選択かどうかについては、私自身判断がつきませんが、規模のリスクが大きいと考えるのであれば、これらは合理的選択であるとは言い切れます。
ということで、「規模のリスク」について考えることが、今後の原子力発電の行く末、電力に係るエネルギー政策の鍵になるのかな、と思った次第です。