2024年12月3日
学会で東大に行ってたのですが、普段の用事は赤門前付近なので、安田講堂前あたりへ行くのは久しぶり。
で、この人混みですわ・・・。
なにかといえば、バエる写真を撮ろうという人たち。中国語かベトナム語がよく聞こえてきたような。連中のfacebookか何かでバズった、ってことなんでしょうな。
まぁ、日曜日ですし、通路の真ん中を占拠して大迷惑をかけてる感じの人はいなかったので、まぁいいかな、って感じはしますが、学生も教員も事務も授業料値上げというかカネが足らないとピィピィ言っているなか、大学とは関係なさそうな人たちが大量に闖入して(※本来は関係者以外入構禁止なんですけどね)、facebookかinstagramに載せる写真を無料で撮っているのは、なんかアイロニーやなぁと思いました。
こういうときこそ、こち亀の両さんのように、なんでもカネにする悪知恵を働かせるべきですな。そこらの木に落ちてる枝に校章でも彫って3,000円くらいで売るとか、落ちてる銀杏の実を東大銀杏だと言って数粒5,000円で売っちゃうとかすればいいのにw。
ま、自分の本務校ではないので、どうこう言うのも無粋かもしれませんが。
2024年12月2日
今年度は自分が代表の科研費獲れなかったので「がんばらんば!」と学会発表で業績コツコツ貯めております。
ということで今回はひさびさにSTS学会@東大本郷。分担させていただいている科研基盤(A)「気候民主主義の日本における可能性と課題に関する研究」の一環で、阪大の八木先生がオーガナイズドセッションを組んでくださり、そのなかの話題提供として、みその気候市民会議についてお話させていただきました。
今回のOSのテーマは「気候市民会議の多様な開催を考える」で、日本国内でもいろいろな形態の気候市民会議が実践され始めているので、その経験から今後の展望を考えようというもの。
みその気候市民会議は地区レベルで実施した(たぶん)日本で唯一の事例なので、それなりに特徴がありました。特に、参加者全員が同じようなところで買い物をして、同じ駅(浦和美園駅)を使っている人たちなので、生活圏が同じがゆえにコミュニケーションがハイコンテクストなものとなり、それが共感(あるいは運命共同体という感覚、相互依存の感覚)を生み出していたように思います。
この点を指摘したところ、オーディエンスから重要なコメントもいくつか頂戴できました。狭い地理的範囲(あるいみニッチ)から出てくるアイディアなので、そのような取り組みがたくさん行われれば、現場から一般化されるボトムアップの気候政策が出てくる(通常は世界・国→現場の一方通行)可能性を秘めているかもしれません。
また、普段顔を合わせている地区の人たちが自然と集まってdeliberateした結果と考えれば、無作為抽出などの仕掛けを使って切り取られた熟議の場を設けることの意味は何だろうという議論にもなったのですが、やはり地区であったとしても、地区のボス、地主、有力者などが存在するわけで、それらの構造から解放された熟議の場をつくることに意義がある(そういう構造から解放させる必要がある)という結論になったように思います。
学会によっては、発表するだけでオーディエンスからの反応があまりない、ディスカッションにならないようなところもありますが、今回はとても有意義なセッションでした。こういう場はほんとうに勉強になるので、来年度以降も「がんばらんばね!」と心を新たにした次第です。
あと、久々に対面でお会いできた人たちがたくさんいたので、それもいい機会になりました。来年は懇親会出てもいいかも。