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2017年11月29日

トランジションは均衡選択の問題か

先日、社会選択理論の本を読んでいたら、equilibrium selectionという言葉がでてきました。ふむふむ、確かに複数の均衡解が存在するとき、どれを選択するのかを考える必要がありますね。

でも現実の社会では、ある程度の均衡解がすでに実現しているわけです。ある一定の環境下でみんながそれなりに合理的に行動していて、行動がそんなに変化しないのであれば、それは均衡解が実現していると言ってもよいのでしょう。

自分は最近、トランジション・マネジメントというお題の下、どのように社会経済システムの構造改革を実現し、人々の行動を変えることができるのかを、実践的に調べていますが、これもまさにある意味、とある均衡解から別の均衡解へといかに移動するか、という問題ととらえることができそうです。

たとえば、化石燃料に依存する現在の社会ですが、これはこれで極めて合理的にできていて、システムの最適化がかなり図られているのではないでしょうか。たとえば、ガソリン価格が高くなればハイブリッドカーが売れるわけです。しかし、そもそも化石燃料に依存しない、いわゆる「脱炭素」社会へ移行しないと、気候変動や資源枯渇の問題にいつか直面するという危機感もあり、全く違う新たな均衡解へと移行する必要があるといわれています(その必要性がない、という反論もありそうですが)。

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図を描いてみましたが、AとBという均衡解がわかってて、わたしたちの社会がAであるとき、Bの社会へと移行したほうがよいことは判ります。しかし、いきなり不連続で瞬間的にBへと移行できるのではなく、途中で「A地点からB地点まで」((c)ザ・ぼんち)の経過を辿っていく必要があるわけです。Bの方向へと移動しようか・・・と少しだけ移動してみても、いややっぱしAの均衡解のほうが(ちょっと移動した状態よりは)いいよね、ってことで、やっぱしAに元戻りしちゃうわけです。均衡解というのは起き上がり小法師のようなもので、自己安定化メカニズムがあるからこそ、均衡解なわけです。そうすると、いまの私たちの社会はいわば「蟻地獄」で、抜け出すことができないのかもしれません。

だからこそ革命論みたいなものが20世紀には流行して、不連続的で瞬間的に移行しなければ社会は変わらない、ということだったのかと思いますが、それは無理じゃない?というのが現在のモードかと思います。とはいえ、社会経済システムの変革が人類の持続可能性維持のために避けられないのであれば、いかに「A地点からB地点まで」の移行を実現するのか、それがトランジション・マネジメントの挑戦なんじゃないかと思います。


カテゴリ: Environmental policy,Public policy,Transition — Masa @ 8:32 AM

 

2017年11月27日

bogus conferenceの国内開催は観光政策&科技政策としてどうなんだろ

大学で研究者をしていると、超ウサン臭い「学会」への招待メールが頻繁に来ます。

国際学会へ招待なんてすばらしいじゃないすか、と思う人もいるかもしれませんが、現実には「招待」なんかじゃありません。参加費が数万円でボッタクリも多いですし、学会と言っても研究分野は何でもアリで、他の参加者の発表聴いても多分、何のこっちゃか全くわからんやろね、みたいな感じ。海外ではこのような「学会」はbogus conference(インチキ学会)などと揶揄されます。まぁそこまで特定の「学会」を攻撃したら訴訟リスクもあるので、questionable、dubiousみたいな表現を使うことも多いみたいですが。なんでもいいから学会発表して、業績リストを伸ばしたいというニッチ需要もあるのかもしれませんが。

以前はベネズエラやギリシャからのメールが常連で、いまでもたまに来ますが、最近は中国から来るようになりました。この中国からのメール、以前は会場が大連や上海だったのですが、最近は福岡や京都が会場のも増えてるんですよ。

ウサン臭いとはいえ、開催しなかったら完全なる詐欺になるので、たぶん、いちお、会場はおさえているのだとは思いますが・・・福岡や京都のホテルがこういうウサン臭い「学会」に使われるのって、信用として、どうなんでしょうね。まぁ、こういう「学会」に参加するヒトって、大半が「学会」ではなく観光目的(研究費で観光しちゃおうという不届き者)でしょうから、まぁ国の観光政策としてはいいね、なのかもしれません。とはいえ、こういう「学会」の会場として日本が使われちゃうと、日本国内のまっとうな学会でさえ、海外の人たちが「インチキじゃね?」と疑うようになるかもしれませんよね。そういう意味で、科学技術政策としてはヤバいのではないかと。

まぁさすがに主催は日本の業者ではないので、まだまだ安心ではありますが、こうも経済が混沌としてくると、日本でこういう「学会」を商売にする連中が出てくるんじゃないかと、ちょっと心配ではあります。

怖いのが、地域のコンベンションビューローみたいなところが、こういう「学会」に協賛しないかどうか・・・。いま見ている限り大丈夫そうですが、そろそろ協賛しちゃうところが出てくるんじゃないかなと。観光政策としては、悪い話じゃないですし、「学会」のクオリティなんて、観光客を増やすことが目的の人たちには、あまり関心のないことですものね。まぁ、観光政策と科学技術政策の接点ということで、誰か既に動いているのかもしれませんが。


カテゴリ: Public policy,Science/Technology Policy,Travel — Masa @ 10:43 AM

 

2017年7月4日

デリバリープロバイダ問題はネット通販物流の転換点か

僕は埼玉の郊外暮らしで自分のクルマがあるので、amazonで買い物するときは常に、近所のヤマトの配送センター止にしてたんですね。ヤマトの運転手さんがいつ来るか、不安を抱えながら家で待機するのは嫌なんです。自分の自由時間に引き取りに行ったほうがよほど自由で気楽でした。唯一の欠点は、配送センターで例のamazonの箱を引き取るとき、「こいつ、家族に知られたくないエロDVD買ってるんじゃないの?」とセンターのおねえさんに訝しく思われているのではないかと勝手に不安になるくらいのもの。

しかし先月、釣竿をamazonで買ったんですが、いつもどおりヤマト運輸の配送センターを配送先に設定しようとしたものの、エラーが出て選択できないんです。しょうがないので自宅配送にしたのですが、結局、佐川急便が持ってきてくれました。ヤマト一社ではなく、いろんな会社が担当するようになったんですね。ということで配送センター止めが使えなくなってしまって、僕的には不便なことに。

で、いま、「デリバリープロバイダ」がネットで話題になってますね。amazonの配送が、佐川とか郵便とかじゃなくて、普段耳にしない会社も担当するようになってきていて、そのサービスの質があまりにヒドいというお話。

これまで私たち消費者は、ヤマト運輸の(相対的に)安価で良好なサービスを享受してきたものの、そのぶん、配送担当の従業員にしわよせがきていたわけです。それを是正するということで、生産者余剰と消費者余剰の分配の見直しとして、運賃値上げにつながったわけですね。結果として、amazonは配送料無料を貫くためにはヤマト運輸を利用できなくなり、他の安価でサービス水準の(相対的に)低い会社に委託するようになったのでしょう。

とはいえ、デリバリープロバイダのサービス水準は、担当者によってアタリハズレはあるのでしょうが、あまりにヒドいようですので、このままではamazonの通販ビジネス自体が成立しなくなるほどの悪影響がありそうです。となると、今後のamazonの配送を存続するためには、いくつかの選択肢しか残されていません。たとえば・・・

  1. 無料配送を廃止(あるいは最低購入額を大幅に値上げ)し、ヤマト運輸などで一定のサービス水準を確保
  2. 配送料無料としつつ、各世帯への配送を原則廃止し、コンビニ等での引き取りに限定
  3. ドローンや自動運転による無人化・機械化で労働コストの大幅な削減

などが考えられます。1.は楽天市場の店舗などでよくあるパターンですよね。2.はセブンネットショッピング(セブンイレブン)のモデルですね。僕が配送センターに引き取りに行っていたのもこのモデル。3.は夢物語とはいえ、技術開発は進められていますよね。

もちろん、現行のデリバリープロバイダのシステムをなんとか改善していく方向性もあるのでしょうが、結局、サービスを改善しようとすればヤマト運輸の頃と同じく、労働者の側に負荷が蓄積してどこかで破綻するので均衡解ではなさそうです。外国人「研修生」を使ってコストダウンみたいな話もあるようですが、さすがに運転は難しいんじゃないでしょうかね。

ということで、これまでのamazonの配送には無理があった(≒もうあの頃の便利さには戻れない)という認識をまずは社会全体で共有し、持続可能なネット通販物流としてどのような形が望ましいのか(有料か?引取りが原則か?ドローン開発を加速化するか?など)を企業と消費者の駆け引きの中で模索していくことになるのでしょうね。先ほどから言っているように、個人的には2.のモデルが好きです。

いま、ネット通販物流のシステムがより持続可能なものへと転換するチャンスが到来しているようにも思えます。上記のアイディアはすでに検討済でしょうが、僕には思いつかない、画期的で環境負荷が小さくて持続可能なシステムが導入されればもっとよいのですが。


カテゴリ: Environmental policy,Public policy,Urban planning — Masa @ 4:48 PM