2011年9月16日
「合意形成論に基づく政策形成過程の研究枠組みの構築」研究事業では、今年10月~来年2月にかけて、事例研究を作成していただける学生研究補助者を募集します。具体的には、以下のテーマについて2名を募集します。
1)統計的手法による合意形成事例の分類
アンケートや既存の文献資料等により、都市・環境分野における合意形成事例を収集、整理したうえで、独自の視点により多変量解析などを行い、類型化を行う
2)質的研究手法による合意形成事例の記述と分析
聞き取り調査により、都市・環境分野における合意形成事例を1または2事例把握し、書き起こしやコーディングなど質的研究手法により、特徴の抽出や(2事例の場合は)比較事例分析を行う。
成果はA4で15~20ページ程度のレポート。月1回程度の打ち合わせで調査方針等の指導・修正依頼の予定。謝金および必要経費(計10万円程度/人)を支給の予定。本調査で得た情報を(調査対象者に対して迷惑にならない範囲で)講義レポート・ゼミ報告・学位論文作成等に活用していただいて構いません。
希望者は、10月1日までに、氏名、所属、希望テーマ(1か2か)、具体的な対象事例の提案(もしあれば)を matsuurapp.u-tokyo.ac.jp まで電子メールでご連絡ください。
2011年5月31日
お世話になったMITのDUSP(都市計画学科)に数年に一度はgive back、すなわち寄附するようにしています。100~200ドル程度の少額ですが、RA/TAなどのフェローシップでメシ食わせてもらったことの恩返しと、学科のパーティなどでのケータリング代の足しにでもしていただければな・・・という気持ちで。MIT本部から毎年しつこく寄附を要求する手紙が届くので、根負けしてつい、というのもありますが。
で、そんな少額の寄附でも、きちんと感謝状は届きます。
単なるカードではなく、中を開くと・・・
学科主任の手書きのメッセージがきちんと書いてあります。今回は「日本の卒業生や仲間のことを気にかけていますし、みなさん無事であることを祈っています」とのこと。
こういう気遣いがあるからこそ、寄附をしよう、母校を支えよう、という気持ちになれます。私自身は見込み薄いでしょうが、これから機関投資家、発明家となる人たちは、卒業・修了して大きな利益をあげたときには、その利益を母校へとgive backするのでしょう。
これから日本の大学も、民間資金、寄附・基金などに頼る時代がくるのでしょうが、機械的にお金を集めたり、あるいは寄付者のPR支援など目先の利益を考えずに、卒業・修了生と「心が通った」fellowshipの構築を本気で考えていく必要があるのでしょう。
自分も大学の一員として、修了生に愛着を持ってもらえる大学院づくりへといくばくかの貢献をしていこう、と思った次第です。
2011年4月20日
饗庭先生のこのポストに影響されて、久々にブログなんてもの書いてみます。ほんとはもっと、ブログで思考を整理して呈示するのが学者の仕事なんでしょうが、「ツイッタ~、は~じめました~(AMEMIYA風に唄え)」なもので、思い付いたことをその場で呟き散らすようになってしまい、ブログで思考をある程度整理し、記述する癖が失せてきています。よくありませんね。
さて本題。饗庭先生は結論で「都市計画は下位の計画である 最後に、都市計画はやっぱりツールなので、そもそも原発がいるかいらないかの議論には向いていません。」と書いてますが、ここが私は一番気になっているところ。反発しているわけではないのですが、「都市計画」の意味を手段に限定してしまうことへの違和感です。
まず、原子力発電は「目的」ではなく「手段」です。ですので、所期の目的を達成するために、エネルギー源のプロファイルの中に原子力発電をどのように位置づけるか(あるいはそもそも位置づけないか)を総合的に議論する必要があるでしょう。
その単位ですが、饗庭先生は国際的な観点でとおっしゃっていますが、現実は国単位でのガバナンスとなります。安全基準などの国際ハーモナイゼーションなどは進められるでしょうが、政策の根幹は主権国家が決めることです。兵器転用の可能性が出てくると別ですが、平和利用の範囲ではIAEAなどの枠組みの下で国家が大きな裁量をもって政策を決めることが前提かと思います。ですので、日本においても、エネルギー政策における原子力発電の位置づけについては、日本政府(ひいては国民)が決めることになります。
実際、2010年閣議決定の「エネルギー基本計画」では、「原子力発電の推進」として、2020年までに9基新設、設備利用率85%、2030年までに少なくとも14基の新増設、設備利用率90%という目標が明記されています。これを根拠に、新たな原子炉が次々と建設され、必要に応じて発電所の新規立地が進められているわけです。誤解を受けやすい言い方を敢えてすれば、東電などの電力各社は、国民に選ばれた政府の計画にしたがって原子力を推進している、とも言えます。
では、エネルギー基本計画はいかにして形成されるものでしょうか。根拠法としてはエネルギー政策基本法があり、総合資源エネルギー調査会の専門部会において案が検討され、閣議決定されるものです。実質的には経済産業省がお守りをしているといっていいでしょう。
ここに、産・官・学の鉄のトライアングルがあって、原子力推進の方向性が・・・というような批判も十二分にあり得るとは思うのですが、もう少しナイーブに考えてみたいと思います。エネルギー基本計画の入力変数、すなわち検討にあたっての所与の条件としては、国の経済成長見通しや政策、エネルギー資源のavailability、地球温暖化対策への要請・・・などがあります。
ここで、エネルギー政策の大枠を決めている、国の経済成長の方向性(すなわちエネルギー需要の量と質)、あるいは地球温暖化対策のあり方は、「都市計画」にも密接に関係があるのではないでしょうか?
経済成長を考えるとき、従来どおり製造業中心の産業国家を狙うのか、あるいは知識産業に特化した国家への転換を狙うのか?コンパクトシティで効率化を目指すのか、あるいは過疎集落を活性化してコモンズ依存の地域社会を復活させるのか?温暖化対策としての適応策を都市としてどのように実現するのか?
このような問題は、広い意味での都市計画の課題だと、私は思います。もちろん、「都市計画」ではなく、国土計画、地域計画と呼ばれるものが、上記の問いに対応しているのかもしれません(私の認識では、都市計画も国土計画も地域計画も本質的には同じ分野のものととらえています)。
ですから、都市計画を通じて、日本人がどのような都市/国土・産業・環境を目指すのか、そしてその結果として、エネルギー需要の量と質が規定されることによって、エネルギー政策の大きな枠組みが決まるのです。
ある特定の自治体の都市計画によってそんな大所高所のことまで影響が及ばないのは事実でしょうが、各自治体での実践が相互に影響を与え合い、新たな都市論が形成され、全国へと拡散していくなどの相互作用を経て、各自治体の計画を全国的に積み上げて形成される日本の「都市像」が、エネルギー需要の決定要因のひとつであると言えないでしょうか。
もちろん、エネルギー政策を所与のものとして、ある特定の都市計画の最適化を図ることもできるでしょう。しかし、エネルギー政策も、(個別の都市計画の集合体としての)都市計画のインプットがあってはじめて成立するものなのです。
結論としては、エネルギー政策と(広義の)都市計画、どちらかが上位にあるのではなく、むしろ相互に影響を与え合いながら進化していくものだと思います。ここではエネルギー政策と都市計画を論じましたが、経済政策、自然環境政策、農林水産政策、などさまざまな政策が相互作用を経ながら進化していくべきものでしょう。今回の原子力災害を契機に、エネルギー政策が大きく見直されることになるでしょうが、その結果を待ってから他の政策領域が動き出すのではなく、エネルギー政策を機軸にしつつ、都市計画、経済、環境、農林水産などの多様な分野が参画し、相互に影響を与え合いながら、今回の経験と反省に基づき、政策・計画を進化させていくことが必要なのだと思います。