2016年6月23日
都知事選がまたあるわけですが、「オリンピック中止」を公約に掲げる有名人候補が当選したらどうなるんでしょうね。意地悪ばあさんこと青島幸雄も都市博中止ってことで当選して実際に中止させた実績があるわけで、歴史は繰り返すかも。まぁ万が一そんな有名人が出馬したとしても、広告代理店業界が必死こいて潰しにかかるでしょうし、さすがにオリンピック中止はヤバいだろうと有権者も思うでしょうしね。
そんな妄想はよいとして、オリンピックといえば「マスコット」が創作されるわけですよ。というかあれってただの「ゆるキャラ」((c)みうらじゅん)でしょ。確かにロサンゼルス五輪のときの鷲は可愛かったけど、その後はなんか迷走してて、ロンドンのときに総スカン食らったバケモノみたいにキモカワ路線へと走っているような気もします。
で、こんどの東京はどうなるんでしょうね?開催2~3年くらい前に公表されるようですので、来年に発表されるのでしょう。
しかし、どんなデザインにしても「キモい」、「意味不明」、「■■■に似てる」って文句がでてきそうな予感がします。
いっそのこと、東京開催なわけですし、こち亀の「日暮熟睡男」にするのが理想ではないかと。
2016年6月14日
このところ節酒をこころがけているせいか、逆に、酒を飲むと挙動不審で体調不良になりがちな今日この頃。
先日、東大で所属していた(というか客員として所属している)元研究室で飲み会がありまして・・・メンタルに強くないあたし、歓談しておりましたら、ダラーオークションゲームのようにエスカレートしまして、気がついたら終電はとっくのとうに出発済。
みなさんタクシーなどで帰られましたが、埼玉方面はあたし独り。しかも翌朝6時にやらないといけないことがあったので、タクシーで帰っても、寝飛ばすのが怖い。てなことで、
埼玉県の自宅まで歩いて帰る!
ことにしました。酔ったイキオイって怖いっすね。ただ、東日本大震災のときから、職場から歩いて帰るルートを確認したいって、ずっと思ってたんですよね。
忘れもしない2011.3.11(金)、翌週から休暇を取って、実家に帰る予定だったので、東大には自家用車で来ていました。帰省中の仕事の書類だの、積ん読になってた本などを持ち帰るための偶然。そんなときにあの地震。こんどあの地震が起きたらクルマは機能しないでしょうが、あのときは首都高が封鎖されてた以外、一般道は特に問題なし。僕も夕方には自動車で帰宅できました。
てなこともあって、午前2時ごろ、上野から埼玉県東部に向けて出発!ランニングアプリを起動して、移動距離や位置を確認しながら北進しました。
まずは不忍通りを北上。けっこうな深夜でも都市住民の自転車や歩行者がたまに通ります。金曜日の夜でしたし、飲んで徒歩で帰る人も、それなりの数いたようです。
道潅山下の交差点を右折、開成高校を左手に西日暮里駅を通過。さすがに深夜の駅はひとっこひとりいません。
西日暮里からは、日暮里舎人ライナーの高架下を只管歩き続けます。尾久橋通りはほんと、北に向かって一直線。ひたすら真っ直ぐの道なので、メンタルに辛いですね。
しばらく歩くと、熊野前陸橋が見えてきます。自動車はここを登って荒川を渡るのですが、徒歩は土手のほうまで地面を歩きます。この陸橋、実は都電荒川線の上を越えてるんですね。自動車でしか通過したことがなかったので気づいてませんでした。これも徒歩移動の収穫。
ほどなくして、土手の階段を登ると、荒川が見えてきます。埼玉県民としては、荒川を越えると、「家に帰ってきたなぁ」という気持ちになるわけです。夜の荒川を徒歩で越えている間、橋から誰かに突き飛ばされやしないだろうか・・・とドキドキものでしたが、無事通過。
気分的にはすでに埼玉到着なわけですが、実際はまだ東京都足立区。実はここから北側の尾久橋通りがいちばん、ツラい区間でした。歩道は広くて歩きやすいのですが、いつまでたっても風景はかわらず、ひたすら、一直線の道を歩き続けるのみ。実際、距離としても、上野から荒川までは自宅までの距離の1/4以下だったんです。
荒川から10km弱歩いて、やっと県境越えです。それまでの間、途中でスマホの電池が切れかけました。GPSをずっと使ってるので、電池の消費が激しいんですわ。これがたぶん、今回のチャレンジの最大の収穫で、震災などで徒歩で自宅に帰るときも、予備のスマホ充電器を携行しないと危ないですわ。今回はコンビニに立ち寄って電池式充電器を買えたのでよかったわけですが、震災時なんてゼッタイに買えないでしょうね。徒歩で帰る場合は、携帯の電池式充電器と、水(500mlくらいで十分そう)を準備してから歩き出す必要がありそうです。
さて、埼玉県境を超えてからは、細い裏路地を歩き続けることになります。あまり詳しく書くと自宅バレになるので止めときますが、Google Map先生の指示通り、幅員4m程度の細街路をひたすら歩き続けます。おもしろかったのが、途中に神社や小学校などがあり、たぶん、旧街道か何かだったんでしょうね。
こうして歩き始めてから約4時間後、自宅に到着いたしました。自宅に着いたころには夜は明けて朝日のまぶしい空。
深夜に歩くのはおっかないのでオススメしませんが、震災時の帰宅経路確認と、ちょっとしたチャレンジとして、職場から自宅まで、徒歩で帰ってみる、というのも悪くなさそうです。
そいえば、途中、こんな幟を見つけました。僕の講義で使えそうなので、そんな意味でも、収穫のある旅でした。
2016年6月8日
さきほど、留学生向けのファシリテーション講義で、東京の住みづらいところについて意見集約するという実演をやってみました。
明らかに第一位は「言葉の壁」。学内はともかく、日常生活でかなり困ってるとのこと。自分たちは日本語わからないけど、東京の人たちも英語も母国語も話せない。いろんな説明も日本語だけ。こりゃほんと、困った問題ですね。それに関連して、「人々とのコミュニケーション」も問題のようです。これは言葉だけじゃなくて、気軽に会話できない壁を感じているようです。確かに、日本の人って、見知らぬ人と会話ができないですよね。
他には、高い生活費、生活環境(わかりにくくて混雑してる公共交通、ごみ箱が街にないなど)、食事(ハラル、酒など)、母国との気候の違いなどが挙がっていました。
日本スゴいみたいなテレビ番組多いですが、「国際化」するならば、まだまだ、できるところから改善してかなきゃいかんですな。