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2011年4月22日

東北地方太平洋沖地震マップ

気象庁などがすでに余震発生状況などのマップを公開しているのですが、マグニチュードが色の塗りわけだけで表現されていたり、円の大きさで表現する場合も地震本来のエネルギーの大きさではなく対数指標であるマグニチュードの値が使われていたりして、地震の規模のメリハリがイメージできず、結果として、かなり強い余震が頻繁に発生している(から怖い)という印象を受けます。

ということで、3月11日以降の地震について、気象庁公表のマグニチュードから逆算したそれぞれの地震のエネルギーを円の面積で表現したマップを作成してみました。元データはこちら(ただし本震については後日発表のM8.4に修正)。地震そのものについては素人なのでWikipediaなどで勉強しながら試行錯誤でつくってみたものですので、もし何か計算間違いしててもお許しを。

結果はこの通り(画像をクリックすると拡大表示します)。東北地方太平洋沖地震のマッピング

3月11日14:46のマグニチュード8.4(気象庁スケール)の本震のエネルギーがいかに大きなものであったかが判ります。ちなみにマグニチュードは対数スケールで、Wikipediaによればマグニチュードの値が1増えるとエネルギー量は約32倍になるとのこと。

実際に地図を作ってみて、たまに起きる強めの余震も、3月の本震に比べれば小規模のものであること、また数も限られていることがわかり安心しました。また、プレートの沈み込み帯以外の場所で起きている「直下型」地震についても、いまのところ、規模はかなり小さいように見受けられます。

もちろん、これから本震に近い規模の余震が発生しないという保証はどこにもありません。私自身、地震研究者でもなんでもないので、単なる興味本位の地図作成作業でしかないのですが、余震に対する印象が、見せ方によって大きく変わるものなんだなぁ、というのが一番の感想でした。

ちなみにkmlファイルを作りましたので、アップロードしておきます(ダウンロードはこちら)。Google Earthなどでご覧になれます。


カテゴリ: Public policy,Science/Technology Policy — Masa @ 12:33 AM

 

2011年4月20日

まちづくりあってこそのエネルギー計画、そして原発の行方

饗庭先生のこのポストに影響されて、久々にブログなんてもの書いてみます。ほんとはもっと、ブログで思考を整理して呈示するのが学者の仕事なんでしょうが、「ツイッタ~、は~じめました~(AMEMIYA風に唄え)」なもので、思い付いたことをその場で呟き散らすようになってしまい、ブログで思考をある程度整理し、記述する癖が失せてきています。よくありませんね。

さて本題。饗庭先生は結論で「都市計画は下位の計画である 最後に、都市計画はやっぱりツールなので、そもそも原発がいるかいらないかの議論には向いていません。」と書いてますが、ここが私は一番気になっているところ。反発しているわけではないのですが、「都市計画」の意味を手段に限定してしまうことへの違和感です。

まず、原子力発電は「目的」ではなく「手段」です。ですので、所期の目的を達成するために、エネルギー源のプロファイルの中に原子力発電をどのように位置づけるか(あるいはそもそも位置づけないか)を総合的に議論する必要があるでしょう。

その単位ですが、饗庭先生は国際的な観点でとおっしゃっていますが、現実は国単位でのガバナンスとなります。安全基準などの国際ハーモナイゼーションなどは進められるでしょうが、政策の根幹は主権国家が決めることです。兵器転用の可能性が出てくると別ですが、平和利用の範囲ではIAEAなどの枠組みの下で国家が大きな裁量をもって政策を決めることが前提かと思います。ですので、日本においても、エネルギー政策における原子力発電の位置づけについては、日本政府(ひいては国民)が決めることになります。

実際、2010年閣議決定の「エネルギー基本計画」では、「原子力発電の推進」として、2020年までに9基新設、設備利用率85%、2030年までに少なくとも14基の新増設、設備利用率90%という目標が明記されています。これを根拠に、新たな原子炉が次々と建設され、必要に応じて発電所の新規立地が進められているわけです。誤解を受けやすい言い方を敢えてすれば、東電などの電力各社は、国民に選ばれた政府の計画にしたがって原子力を推進している、とも言えます。

では、エネルギー基本計画はいかにして形成されるものでしょうか。根拠法としてはエネルギー政策基本法があり、総合資源エネルギー調査会の専門部会において案が検討され、閣議決定されるものです。実質的には経済産業省がお守りをしているといっていいでしょう。

ここに、産・官・学の鉄のトライアングルがあって、原子力推進の方向性が・・・というような批判も十二分にあり得るとは思うのですが、もう少しナイーブに考えてみたいと思います。エネルギー基本計画の入力変数、すなわち検討にあたっての所与の条件としては、国の経済成長見通しや政策、エネルギー資源のavailability、地球温暖化対策への要請・・・などがあります。

ここで、エネルギー政策の大枠を決めている、国の経済成長の方向性(すなわちエネルギー需要の量と質)、あるいは地球温暖化対策のあり方は、「都市計画」にも密接に関係があるのではないでしょうか?

経済成長を考えるとき、従来どおり製造業中心の産業国家を狙うのか、あるいは知識産業に特化した国家への転換を狙うのか?コンパクトシティで効率化を目指すのか、あるいは過疎集落を活性化してコモンズ依存の地域社会を復活させるのか?温暖化対策としての適応策を都市としてどのように実現するのか?

このような問題は、広い意味での都市計画の課題だと、私は思います。もちろん、「都市計画」ではなく、国土計画、地域計画と呼ばれるものが、上記の問いに対応しているのかもしれません(私の認識では、都市計画も国土計画も地域計画も本質的には同じ分野のものととらえています)。

ですから、都市計画を通じて、日本人がどのような都市/国土・産業・環境を目指すのか、そしてその結果として、エネルギー需要の量と質が規定されることによって、エネルギー政策の大きな枠組みが決まるのです。

ある特定の自治体の都市計画によってそんな大所高所のことまで影響が及ばないのは事実でしょうが、各自治体での実践が相互に影響を与え合い、新たな都市論が形成され、全国へと拡散していくなどの相互作用を経て、各自治体の計画を全国的に積み上げて形成される日本の「都市像」が、エネルギー需要の決定要因のひとつであると言えないでしょうか。

もちろん、エネルギー政策を所与のものとして、ある特定の都市計画の最適化を図ることもできるでしょう。しかし、エネルギー政策も、(個別の都市計画の集合体としての)都市計画のインプットがあってはじめて成立するものなのです。

結論としては、エネルギー政策と(広義の)都市計画、どちらかが上位にあるのではなく、むしろ相互に影響を与え合いながら進化していくものだと思います。ここではエネルギー政策と都市計画を論じましたが、経済政策、自然環境政策、農林水産政策、などさまざまな政策が相互作用を経ながら進化していくべきものでしょう。今回の原子力災害を契機に、エネルギー政策が大きく見直されることになるでしょうが、その結果を待ってから他の政策領域が動き出すのではなく、エネルギー政策を機軸にしつつ、都市計画、経済、環境、農林水産などの多様な分野が参画し、相互に影響を与え合いながら、今回の経験と反省に基づき、政策・計画を進化させていくことが必要なのだと思います。


カテゴリ: Environmental policy,Urban planning — Masa @ 3:55 PM