2013年7月1日
合意形成など不要の現場もたくさんあるはず
合意形成が大事だと思うから合意形成についての研究をしているわけですが、逆に「合意形成」なんて言わないほうがいい場面もたくさんあるはずです。
今日届いた土木学会誌をぱらぱらと眺めていたら、こんなことが書いてありました。
・・・「たとえ通行止めによる社会的影響が大きいとしても受忍すべきである」と社会に受け止めていただくために、どのように取り組んでいくか。今後その戦略を考えていかなければならないが・・・
大塚敬三「首都高速道路の大規模更新」, 土木学会誌, 98(7), pp. 28-29.
確かに、笹子トンネルの事故などを考えると、社会的影響が大きかったとしても、大規模な工事が必要な場所があることは間違いないような気もします。
とはいえ、本来は、どのような大規模更新が必要なのか、社会全体での熟議が必要だと思います。しかし、まぁ、これは国レベルの政策について学者が論じた論文ではなくて、首都高の担当者としてのご意見でしょうから、そこを指摘してもあまり意味が無いでしょう。
大規模更新が必要だという前提ができてしまえば、そこからは、合意形成など志向しないほうがよいのでしょう。多様なステークホルダーの利害を調整しようとすると、悪影響を受ける一部の者が、現状維持を図ることで悪影響を回避するために、大規模更新の工事を遅らせよう、中止させようという動きにでるでしょう。そうして、目の前にある、肥大化するリスクから目を背けているうちに、大事故が起きてしまうのでしょう。ほんの一部の人々の「No」のせいで何もできなくなるような「合意形成」によって人の命が奪われてしまうということです。そのような状況では、むしろ、人々の問題意識を醸成し、価値観を変えるような社会運動に集中したほうがよいのではないかと思います。逆に、「合意形成」を標榜してモタモタしているうちに大事故が起きてしまうと、「合意形成」なんてあらゆる場面で無駄でしかない、という極論が広まってしまいそうです。