2015年10月20日
SNSは人間を愚かにするかもしれない
ツイッターで毒にもならない愚言ばかり吐いているあたくしです。
とはいえ、ツイッターで大炎上とか、LINEで喧嘩でフルボッコとか、そういう人たちに比べればまだ穏やかな日々を送れているのかもしれません。
先日、何気なく自分のブログの過去記事をダラダラと読み返してみたのですが、自分なりに有益なことも書き残してあって、今年の科研費申請の企画の種を見つけることもできました。そういえば「昔、(松浦の)ブログ読んでました」というめずらしい人に、年に1回くらいのペースで遭遇することもあります。
なら、ブログ書いてるほうが自分とっていいはずなので、「なんでtwitterに逃げてるのかな?」と我ながら不思議に思って、考えてみました。
やはり、短文投稿っていうのは、まさに口を突いてでる「つぶやき」であって、その「つぶやき」には熟慮がないんですわ。インプットに対する身体反応としてのつぶやきなわけです。
ブログはさすがに投稿前に一度読み直したり、書いている途中で「あ、論理破綻してるな」と気づいて書き直したりと、書きながらではありますが、それなりの熟慮が行われているのでしょう(低レベルかもしれませんが)。
ということでtwitterやLINEの投稿っていうのは、やっぱし情動のようなもので、考えるエネルギーの投入は省けんだろうけど、そこに何か思慮みたいなものはないんでしょうね。みんながそうだとは断言しませんが、すくなくとも、あたしの場合は。
それにくらべてブログだと、複数の要素を組み合わせて書くわけで、リフレックスとしての身体反応では文書が成立しないわけです。
そういう意味では、twitterのビッグデータっていうのは、情動的な反応の集合体でしかないんでしょうね。それはそれで価値はあるんだとは思います。しかし、その反応がもたらす影響とか、自分にはねかえってくる影響とか、そこらへんを反省(リフレクト)する過程は、twitter自体に組み込まれていないですよね。横暴な発言やクソリプとかもタレ流して、反省したら気を病んじゃうので、反省しないほうが勝ち組だったりします。
ということでまたブログに戻ろうかな、なんて思う今日この頃であります。