ホーム » ブログ

アーカイブ

検索


フィード


管理

2015年11月26日

Facebookと地方創生

昨日のブログでうまく書けなかったんですが、地方創生って、facebookと「共進化」してる案件なんじゃないかと思うわけです。

卑近な現象からすれば、facebook上であーだこーだ書いてる人って概して地方創生がらみの案件について一家言ありそうな人が多そうだし、逆に地方創生がらみの仕事をしてる人はfacebookにあーだこーだ書いてそう。

でも実はそれだけじゃなくて、facebookの(いちおう)実名で、文字数制限がなくて、写真もたくさん載せられる、っていう仕様は、田舎での活動を伝えるのに便利なメディアなんでしょうね。

ツイッターの140字(写真投稿したらもっと少ない)じゃ具体的な事業の中身なんて伝わらないでしょう。むしろツイッターは感情の赴くままに何も考えずイキオイで発言する場に相応しいかと。喧嘩上等、炎上万歳。

そういうこともあって、地方創生の関係者がfacebook上でクラスタ化しちゃうというのは、必然のようにも思えます。

また、技術的な仕様はさておき、SNSっていうのは都市への人口集中を抑制するという予期せぬ機能があるかもしれませんね。都市に来なくても、いろんな人と出会える(コミュニケートできる)わけですから。いわば、バーチャル酒場みたいなもんでしょう。昔から(エロ目的含め)そういう出会いの場がネットになかったわけではないんだけど、facebookで、リアルからバーチャルへのトランジションが加速したのは間違いないんじゃないかしら。もちろんリアルに会いたくなることはあるだろうけど、それならLCCでも使って会いにいけばよくて、spontaneousな「出会い」の機能性は、facebookが都市を上回っちゃったんじゃないかな。

ってことで、facebookなんてやってると、高い家賃払って東京に住まなくてもいいんじゃね、って気分になるんでしょうね。

いっそのこと、ザッカーバーグ氏を地方創生担当大臣の参与にでもしちゃったらどうでしょう。

このままいったら、facebookと地方創生関係者の間で共進化が止まらなくなり、市井の一般大衆を置き去りにして、遠い彼方へと飛んでいってしまうんでしょうね。僕はそんな竜巻のような現象には巻き込まれたくないけど。


カテゴリ: Computers,Science/Technology Policy,Urban planning — admin @ 3:54 PM

 

2015年11月25日

地方創生の合理性と東京の衰退

このところ地方創生の美しい話題ばかりで、そのイケイケでリア充な感じに妬みの感情ばかり抱いておりました。でも、実はそうでもないのかなー、と思い始めてイライラが収まりつつある今日この頃でございます。

青少年期をバブル経済真っ只中で成長したあたくしにとって、「未来ある若者がなんでド田舎に移住すんだよ?」と、不思議でならないわけです。過疎地だよ。NHKで毎朝やってた「明るい農村」みたいなとこだよ。未来なんてないじゃん。

どっかの意味不明な農本主義カルト集団みたいな思想と大して変わらない流行に洗脳されてる若い連中なんじゃないか・・・と訝しく思わざるを得ないわけです。

しかし、Uターンのムーブメントがここまで大きくなってくると、テキトーにスルーするわけにもいかず、真剣に実態を眺める必要性をひしひしと感じております。

じゃぁなんでみんなイナカに帰るのか。すこし冷静に考えてみました。

第一に、東京における事業経費、生活費が相対的に高くなりすぎた、というのは事実としてあるのではないかと思います。アジア資本の流入で都心の地価は高騰しているようですし、電車移動も便利とはいえ混雑と長時間通勤は決して安くないコストです。それに比べて、イナカは中心市街地の衰退やら空き家問題やらでオフィスや住宅の家賃は低下傾向にありそうですし、移動もマイカーで余裕ですし、職場から徒歩圏の中心市街地に住んでも大した家賃ではないのでしょう(※これについてはエビデンスが必要ですが)。起業するなら、東京よりも地方都市やイナカのほうが便利かもしれません。いまならネット環境もあるしね。

第二に、都市の魅力が低下しているのかもしれません。イナカっていうのは、みんながみんな知り合いで、常に監視されているような抑圧感が蔓延しているもんだ、というのが私の思い込みです。イナカこそパノプティコン、監視社会の最たるものでしょう。そんな抑圧から解放されたくて、夜汽車でトーキョーへ旅立つ・・・という70年代フォークソングの歌詞みたいな人口の社会増減が発生していたのでしょう。逆に、トーキョーに来れば、誰も知り合いはいないわけです。せいぜい大学のクラスメイト、職場の上司や後輩、そういう希薄でドライな限られた人間関係こそが、ウェットでしがらみだらけのイナカの規範から解放してくれる都市としての魅力だったのでしょう。「あの人、いつも飲み屋で話すんだけど、昼間はなにやってんだか知らない」みたいな世界。

しかーし!いまや時代はSNS。朝から晩まで、スマホを指でスリスリしては、ほんとうの友達でもない知り合いどもが、毎日のようにリア充自慢大会を繰り広げるのをため息ついて眺めるばかり。しかし余計なつぶやきをしようものなら義憤に駆られた匿名の人々に言葉の袋叩きに遭う。イナカの面倒な人づきあい以上に面倒な人づきあいがSNS上で展開されているわけです。そのくせ「○○○なう」とかつぶやいて、監視社会に自ら身投げしてしまう私たち。じゃぁ東京なんて来る必要ないじゃん。世界中どこにいてもSNSのコミュニティに所属する限り抑圧されるんだから。東京に来ても自由になれなくなっちゃったんでしょうね。

もっとポジティブにとらえれば、東京に来なくても、いろんな人たちとSNSでつながることができるわけです。以前は東京に来ないと面白い人たち、尖った人たちに遭えなかったわけですが、いまやネットで世界中どこからでもつながれるわけです。それならイナカでもいいや、ってことになりますわね。

しかも東京でないと食べられないもの、買えないもの、見れないもの・・・ほぼすべて消失しちゃったんじゃないでしょうか。ネットで何でも買える時代ですし、東京に住んでたって結局はネットでモノを買うわけです。テレビだって昔のイナカなら、ブースターのスイッチ入れて、UHFの微妙なダイヤルを合わせて、ノイズを我慢しながら数少ないチャンネルから番組を見る・・・しかも東京から数日遅れで「ヘンな時間」に放送されてる・・・って時代じゃなくなってる。若い人ならそもそもテレビじゃなくて、ようつべやらその他WWWでコンテンツを見る時代なわけです。これもイナカで十分。

こうして考えると東京の魅力って何なんでしょうね?いまだに大学進学時に上京する人たちはかなりの数に上ると思いますが、今後、ネット経由で大学講義ができるようになれば、進学時の上京さえ激減してしまうかもしれませんね。

いやー、そんなことはないだろう・・・と自分の中でツッコミつつ、社会の構造を考えれば考えるほど、上京することの意味が消失してきているようにも思えてなりません。


カテゴリ: Public policy,Urban planning — Masa @ 6:49 PM

 

2015年11月4日

「『いいね』経済」バブルの問題

最近何かとクサれ気味の松浦です。なんか悪態つきたくなるのが中年オヤジの悪いところなのでしょうが、老化に伴うホルモンバランスの崩れってやつですかね。人間だもの、みつを。

最近どうもイラっとくるのが、いわゆる「ロハス」みたいな感じで、田舎の寒村とかで「質素」な暮らしをしながら小さな商いして村おこしになってるみたいな若夫婦のストーリー。みんな、なんでかしんないけど、揃いに揃って、無印良品あたりで売ってそうなボーダーのボートネックの長T着てるんだ。別に個別具体的案件があるわけじゃないんだけど、フェイスブックだの新興メディアだの見てると、そういうサクセスストーリーで溢れてるわけです。

ああいうのって、売ってる商品とか商売の本質ってそんなに価値がないものなんじゃないかな。結局、若干値段が高くても商売ができるのは、パッケージ、ネット上での「いいね」、有名人のendorsement、背後のストーリー・文脈で付加価値(非利用価値)をつけてるからなんじゃないかな、と思うわけです。結局、イメージ商売って意味では、AKB商法と大して違いはないんじゃないでしょうか。商品自体がもたらす価値よりも、おまけの価値の方が肥大化しちゃってる案件も、けっこうあるんじゃないかと思われるわけです。あ、ビックリマンチョコ大量廃棄なんて昔ありましたね。いまの小学生たちはビックリマンチョコなんて知らないでしょうが。

まぁロハス的なものであれば、商品自体の品質が高くて機能や耐久性が高いこともあるので、一概に否定するのもなんでしょうかね。ただ、再生産につながらない付加価値を消費することでおカネが循環する経済って、バブルになりかねないんじゃないっすかね、って言いたいわけです。みんながヴィトンのバッグを持ち歩くような経済ですな。

結局、そういう、「いいね」で価値を増すやり方っていうのはリスクが大きいんじゃないですかねー。厭きられたら一気に価値がなくなるわけだし。

一時期の「佐野研二郎デザイン」信仰なんかに通じるところもあります。田舎の山村は切羽詰まってて、なんでもいいからカネになるものは商売にしたい気持ちもわかるのですが、ブランドで価値を上増しするんじゃなくて、地域のオリジナリティがあるほんとうの価値は何かを見つめなおさないと、地方創生なんて、「いいね」バブルで終わるんじゃないっすかね。


カテゴリ: Environmental policy,Public policy,Urban planning — admin @ 9:03 AM