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2014年1月29日

「国際関係」と「中学生の人間関係」

国際関係というと、表裏いろいろ難しい外交の駆け引きや軍拡競争を想い浮かべるのが一般的だと思います。だからこそ抽象的な「あるべき論」が市井で先行し、それを政治システムの中の人が利用するものだから、現実的な問題解決からどんどん遠ざかっているような気がします。それは世界中の大多数のひとびとが望むところではないはずかと。

ふと思うのですが、国家間関係の問題なんて、中学校のクラスの中での人間関係をアナロジーにして、だいたい説明できるんじゃないでしょうか?

家が金持ちで小遣いをたくさん持ってる奴(資源国)、かっこいいから人気な奴(仏・伊)、目立たないけど器用でいろいろ手伝ってくれる奴(日本)、ジャイアンみたいな奴(略)・・・いろんな奴らがいるなかで、人間関係ができて、喧嘩もあれば、派閥もできれば、恋もすれば、チームを組んでスポーツに取り組むこともある。

国際関係って本質的には、せいぜいそんなものじゃないかと思うわけです。

いま日本が国際社会の中でおかれた状況を考えるとき、細かい話はさておき、中学校のクラスだったら、日本はどんな立場にあるのか、隣国や他のクラスメートはどんな性格でどんなことをしているのか・・・と想像してみると、クラス全体が平和で生産的に、そして日本という学生がクラス総代になるためには何をすべきか、解は意外と容易にみつかる気がします。


カテゴリ: American politics,Public policy — admin @ 3:02 PM

 

2013年10月8日

矮小政府時代の市民運動によるインフラ整備

Soulardarity

ミシガン州では行政の予算不足でかなりの数の街灯の運用を停止してしまったそうで、それに対抗して、grassrootsの市民団体が、太陽電池による街灯の整備を自ら始めているとのこと。

どこの国でも「非効率で過剰な公共サービス」が問題視され、削減の方向に向かっているのは間違いないでしょうが、街灯を消してしまう選択肢は、自動車に乗って移動できる人々を利して、歩行者を不利な状況に立たせるという、明らかに格差の拡大を助長する政策でしょう。

明らかに非効率な公共サービスの効率化はもちろん必要でしょうが、公共サービスとして最低限確保するサービス水準やその内容(特に再分配・セーフティネットの手段として)については、よくよく考える必要があるはずです。そこらへんの熟議をなおざりにして、行政を矮小化させて、新自由主義一直線で突っ走ることは、きわめて危険な選択でしょう。

そのときに、お互いに耳を傾けずに極論を主張しあっても埒が開かないでしょうから、市民運動として、行政の機能をoccupyしてしまうのは、なかなかスマートな選択肢ではないでしょうか。もちろんフリーライダーをどう排除するかといった諸問題は論理上は発生するのでしょうが、そもそも何もないカオスの状態でガバナンスの最終形について論理的な議論をしても空虚なわけです。まずは公共性の再構築というプロセスをtriggerして、その過程で発生する諸問題を追体験していくという、このようなインフラ整備市民運動には、大きな意味があるような気がします。


カテゴリ: American politics,Public policy,Urban planning — Masa @ 9:41 AM

 

2013年8月1日

早速叩かれた麻生氏

Simon Wiesenthal Center to Japanese Vice Prime Minister: Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"? | Simon Wiesenthal Center.

ナチに言及するのは失言で済まされないだろうと思ったら、やはり早速、Simon Wiesenthal Centerから非難されておりました。現政権はさかんに「日米同盟」を標榜しますが、米政府が一番困りそうなことを自ら進んでやっているわけで、わけわかりません。


カテゴリ: American politics — Masa @ 1:12 PM