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2019年10月15日

他人の得が許せないのか、自分のなかの規範を押しつけてるだけなのか

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

この記事を読んでみて、なんか不思議だなぁ、と思った次第。

というのも、僕が専門としている「交渉」の暗黙の了解として、各当事者、自己の利益を最大化するために行動するっていう前提があるわけです。しかし実際は、猿だって利他的な行動をするんだから、そもそも自己利益最大化って前提自体がおかしいじゃないか、って問題提起があっちこっちから出てきてるわけです。

という状況のなかで今度は、(自己の利益とは無関係に)他人の利益を減少させるために行動する、っていう新たなパターンもあるのか、ってふと、思いました。妬みみたいなものですね。

他人が得するのが許せないので、それを妨害しようとする行動に出るって、どうなんでしょう?

妨害することで自分の利益が増えるのであれば、結局は、きわめて不寛容ですが、自己利益最大化行動なので、合理的なのかもしれません。記事に出てくる事例、たとえばアンジェリーナジョリーのサイン貰うトラブルってストーリーも、他者がサインをもらったからムカつくというのですが、その他者が存在しなければ自分がサインを貰えた確率が高まるという判断でムカついているのであれば、合理的な判断かもしれません。

他方、自己の利益増加とは無関係に、他者の利益を妬む心理っていうのも、わかるっちゃわかるんですが、それって何なんでしょうね?要は足を引きずるってこと。自分には何の得にもならないどころか、邪魔をするコストを考えれば損失も発生しているかも。

もしかして、「負けた」って自分の感情を打ち消すために他者の足を引っ張るのであれば、まぁ合理的なのかもしれない。ヒドイ奴ですけどね。

あるいは打算や感情抜きで、自分の中で勝手に思い込んでる「規範(ルール)」に反するから、それを押し付けようとしているのかもしれません。もしそうなのだとしたら、研究としても興味深いもので、「熟議(deliberation)」ってそういう規範を間主体的に形成するために必要だという議論があるわけです。もしも個々人が好き勝手に「規範」をつくってしまったら、それはそもそも規範じゃないんじゃないの、と思うわけです。しかし個人の中では規範というか正義というかルールだと信じ切っているので、それと齟齬のある行動は罰しなければならない、と他者に邪魔をしたくなってしまうのかもしれません。悪い意味で風紀委員会のヒトみたいでなんかウザいですが、そういうのが増えてきてるのかもしれませんね。だって「正義」なんですもの。ネットの世界で、嫌いな人を遮断して好きな人たちとだけつきあっていると、そういうおかしな規範意識ができあがって、ウザいだけの人間ができあがってしまうのかもしれませんね。

結局、SNSのいいね、とブロック機能がクソなのでしょうか。

どうしたらよいのでしょう。新約聖書では妬みやそしりが戒められていますが・・・解決策をスピ系に求めちゃうっていうのも、どうでしょうね・・・(冒頭の記事もそっち系をオチにしてるんですが)。


カテゴリ: Computers,Life,Negotiation,Public policy — Masa @ 6:15 PM