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2009年6月25日

スマートグリッドの政治的スマートさ

smart gridの導入について、日本のお偉方はどうも否定的な見解が多いようです。確かに、家庭や事業所が太陽光や風力で自家発電して地域内で融通し、さらに省エネされてしまったら、遠方の原子力発電所から電気を運ぶ高圧送電線を維持している電力業界としては短期的に商売上がったりでしょう。

とはいえ、個人的な予想としては、日本にもいつの間にか導入されてしまうのではないかと思います。というのも、こんなニュースがあったから。

Microsoft wants your Hohm to use the smart grid

スマートグリッドで収集される各家庭の電力消費データを使って省エネアドバイスするサービスをマイクロソフトが始めるらしいです。GoogleもDRSGという組織に加入しており、同じようなことを狙っているようです。

実は日本でも、工場やビル・家庭の電力消費データの分析はBEMS、HEMSといって、けっこう前から行われています。省エネ、コスト削減のために、無駄な電力消費を発見できるツールです。ですので、こういうマイクロソフトの発表を見ても、お偉方は「なーんだ、そんなの以前からやっているわい」と一蹴するでしょう。

しかし、米国のスマートグリッドの賢いところは、そういう技術をコンポーネントにしてしまって、電力の需給管理システムを構築しようとしている点にあります。BEMSやHEMSであれば、個々の世帯や事業所が導入コストを負担しなければならないので、やる気のある人たち以外は導入しないでしょう。しかしスマートグリッドと言ってしまうことで、電力の供給側がそのコスト負担をすることになります(最終的には電力料金か税金に跳ね返るので、消費者が負担していることには変わりありませんが)。

また、マイクロソフトなどが関与することで、プロトコルなどの標準化を米国が先導することになるでしょう。そうすれば、WindowsやMac OSと同じく、米国企業が市場を占拠するでしょう。

こうして、米国でスマートグリッドのシステムが構築され、さらに「自宅の電力消費量などをモニタリングできる機能」が次世代Windowsに同梱されるようになれば、日本でも、いつの間にか同様のインフラを受け入れざるを得ないような状況ができてくるのではないでしょうか。上からは年次改革要望書でたたかれるし、下からは消費者が「なんで日本でこの機能が使えないんだ、遅れてる!」と突き上げられるでしょうし、結局はそういう方向にいくような気がします。

やはり米国はしたたかだな・・・と思います。


カテゴリ: American politics,Public policy,Science/Technology Policy — Masa @ 10:41 AM

 

2009年6月23日

「サイレントマジョリティ」の意味

社会的合意形成の話をしていると、「サイレント・マジョリティ」というカタカナ言葉を使う人にしばしば出遭います。何か論争が起きると、概して「声の大きな人」が目立ち、それを傍観している大多数の人々の意見は目立たない、という考え方があって、そういう大多数の人々を「サイレント」(声を出さない)「マジョリティ」(過半数の人々)と呼ぶのです。

そのような現象が実際に一時的に発生する可能性は十分にあります。大多数の人々が意見を表明する手間を惜しんで、何もしない状況は考えられなくはありません。また、マスヒステリーに近い状況では、懐疑論を出すこと自体がタブー視されるのでしょう。しかし、本当に過半数の人が何か共通の意見を持っているのであれば、政治家なり、メディアなり、何か目立ちたいと思っている人々が、その機会をとらえて、世論として表出させることが、表現の自由がある程度確保された国家であれば、当然の結末のようにも思われます。ですのでサイレントマジョリティなど(長期的に考えれば)理論上、存在し得ないことのようにも思われます。

しかし、この言葉の本当の問題は、サイレントマジョリティなるものが存在するかしないかという議論ではなく、その言葉そのものが持つイメージにあります。

一般的に、silent majorityという言葉を最初に広めたのは、リチャード・ニクソンだと考えられています。反ベトナム戦争の学生運動への抗弁として、そのような運動に参加しないsilent  majorityがいるじゃないか、と彼はのたまわったわけです。また、岸信介も、安保闘争に対抗して「声なき声」、すなわちsilent majorityの存在を主張しました。

つまり、「サイレント・マジョリティ」という言葉を使うことで、「私は右派ですよ」「私はタカ派ですよ」と宣言しているようなものだと思います。そのような発言をする人が、そのような背景を意識しているかどうかわかりませんが、少なくとも、背景が知っている人であれば、そのような印象を持たざるを得ません。

いわゆるサイレント・マジョリティという人々が存在するかどうかはともかくとして、そもそもこの言葉を使うことについて、もう少し考えてみたほうがよいのではないかと、常日頃思います。もちろん、背景までよく考えた上で、この言葉を使う人については、それなりに尊敬できますが、何も考えてない人については、困ったものだな、と思わざるを得ません。


カテゴリ: Public policy — Masa @ 10:07 PM

 

情勢不安定地域とネット

今回のイランでの騒動ではtwitterが注目を浴びているそうですね。あのような地域では単純なテキストベースのコミュニケーションのほうが情報が伝わりやすいのでしょう。Youtubeも動画配信を積極的に始めたようですね。

天安門事件のときにこのようなインフラがあったらどうなってたんでしょうかね。

これからの時代、情報統制はもはや不可能でしょう。とはいえ、若い女性が亡くなったことで運動に火がつく、というのは、まさに60年安保闘争のときと同じ。本質的なものは変わってないような気もします。


カテゴリ: Computers — Masa @ 4:37 PM