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2013年10月8日

矮小政府時代の市民運動によるインフラ整備

Soulardarity

ミシガン州では行政の予算不足でかなりの数の街灯の運用を停止してしまったそうで、それに対抗して、grassrootsの市民団体が、太陽電池による街灯の整備を自ら始めているとのこと。

どこの国でも「非効率で過剰な公共サービス」が問題視され、削減の方向に向かっているのは間違いないでしょうが、街灯を消してしまう選択肢は、自動車に乗って移動できる人々を利して、歩行者を不利な状況に立たせるという、明らかに格差の拡大を助長する政策でしょう。

明らかに非効率な公共サービスの効率化はもちろん必要でしょうが、公共サービスとして最低限確保するサービス水準やその内容(特に再分配・セーフティネットの手段として)については、よくよく考える必要があるはずです。そこらへんの熟議をなおざりにして、行政を矮小化させて、新自由主義一直線で突っ走ることは、きわめて危険な選択でしょう。

そのときに、お互いに耳を傾けずに極論を主張しあっても埒が開かないでしょうから、市民運動として、行政の機能をoccupyしてしまうのは、なかなかスマートな選択肢ではないでしょうか。もちろんフリーライダーをどう排除するかといった諸問題は論理上は発生するのでしょうが、そもそも何もないカオスの状態でガバナンスの最終形について論理的な議論をしても空虚なわけです。まずは公共性の再構築というプロセスをtriggerして、その過程で発生する諸問題を追体験していくという、このようなインフラ整備市民運動には、大きな意味があるような気がします。


カテゴリ: American politics,Public policy,Urban planning — Masa @ 9:41 AM