2015年12月16日
小職担当の「海洋科学技術政策論」講義では、毎年、銚子(千葉県)と神栖(茨城県)の洋上風力発電施設の見学に伺わせていただいています。今年は昨日12月15日に実施。12月だというのに太陽がふり注ぐ暖かい1日で、屋外での見学には最高の日和でした。
しおさい1号に乗って銚子駅集合、すぐに外川漁港までバスで移動です。外川漁港では、ちょうど釣りの漁船が帰港してくるところで、活気ある様子でした。

さっそく、漁船(釣り船)に乗り込んで、視察に出発です。

銚子の洋上風車は、沖合3kmほどのところにあります。この日は定期点検で、風車は廻っていませんでした。

台風のせいで、送電ケーブルを海中に下ろしていく箇所(下写真の左側)が破損したそうです。やはり波の破砕力は大きいんですね。
ということで写真中央に見えるように、基礎にベッタリと這わせるような配線に修正されたとのこと。これも「実証実験」の強みですね。

この日は波高1.3mと、まぁまぁ穏やかな感じがしましたが、下の写真にうつっている船で判るように、けっこうな揺れでした。

最後に陸上の変電施設にも伺いました。隣は銚子マリーナ海水浴場といって、きれいで長閑な砂浜です。ここからでも沖の風車が見えます。夏は混雑するようですね。

次に1時間弱、バスで移動し、神栖のウィンドパワー(小松崎さん)の風車の見学にいきました。
神栖までの道のりでは、バスの運転手さんが気をきかせてくれたのか、沿岸の風車街道を走ってくれました。

沿岸から見ても「洋上」って感じがしませんが・・・

突堤に出て眺めると、ちゃんと洋上ってことが判ります。
ちなみに(第1期は)陸上から施工されたのでFIT上は陸上の風車と同じ単価だそうです。

今日のベストショット。神栖で導入されている日立/富士重の2MWダウンウインド型。
ウィンドパワーさんのスゴいなぁ、と思うところが、地元経済への思いが強く、国産・茨城産の風車を導入していること。

今度の鹿島港ウィンドファーム(まずは20基建てるそうです)では5MWを導入されるそうで、鹿島港の南堤付近の陸上に実証試験機が建っていました(まだ稼動してないようです)。
2015年11月26日
昨日のブログでうまく書けなかったんですが、地方創生って、facebookと「共進化」してる案件なんじゃないかと思うわけです。
卑近な現象からすれば、facebook上であーだこーだ書いてる人って概して地方創生がらみの案件について一家言ありそうな人が多そうだし、逆に地方創生がらみの仕事をしてる人はfacebookにあーだこーだ書いてそう。
でも実はそれだけじゃなくて、facebookの(いちおう)実名で、文字数制限がなくて、写真もたくさん載せられる、っていう仕様は、田舎での活動を伝えるのに便利なメディアなんでしょうね。
ツイッターの140字(写真投稿したらもっと少ない)じゃ具体的な事業の中身なんて伝わらないでしょう。むしろツイッターは感情の赴くままに何も考えずイキオイで発言する場に相応しいかと。喧嘩上等、炎上万歳。
そういうこともあって、地方創生の関係者がfacebook上でクラスタ化しちゃうというのは、必然のようにも思えます。
また、技術的な仕様はさておき、SNSっていうのは都市への人口集中を抑制するという予期せぬ機能があるかもしれませんね。都市に来なくても、いろんな人と出会える(コミュニケートできる)わけですから。いわば、バーチャル酒場みたいなもんでしょう。昔から(エロ目的含め)そういう出会いの場がネットになかったわけではないんだけど、facebookで、リアルからバーチャルへのトランジションが加速したのは間違いないんじゃないかしら。もちろんリアルに会いたくなることはあるだろうけど、それならLCCでも使って会いにいけばよくて、spontaneousな「出会い」の機能性は、facebookが都市を上回っちゃったんじゃないかな。
ってことで、facebookなんてやってると、高い家賃払って東京に住まなくてもいいんじゃね、って気分になるんでしょうね。
いっそのこと、ザッカーバーグ氏を地方創生担当大臣の参与にでもしちゃったらどうでしょう。
このままいったら、facebookと地方創生関係者の間で共進化が止まらなくなり、市井の一般大衆を置き去りにして、遠い彼方へと飛んでいってしまうんでしょうね。僕はそんな竜巻のような現象には巻き込まれたくないけど。
2015年10月22日
昨日、東大公共政策大学院で自分が担当している「海洋科学技術政策論」の講義で、オランダ・ラテナウ研究所(Rathenau Institute)の前所長のヤン・スタマンさんに、科学と社会、テクノロジーアセスメントについて講義していただきました。
この講義は「海洋」と名付けられていることもあって、受講生はかならずしもSTS(科学技術社会論)とか科学技術政策とかの専門性があるわけでもないので、スタマンさんの事例に基づくお話は、問題提起としていいきっかけになったんじゃないかと思います(その前に英語での講義についてきてもらえたのかどうか、心配ではあるのですが)。
きのうのスタマンさんのお話の要点は、新しい科学技術イノベーションが社会に及ぼす影響について、研究してレポートなど書きつつも、メディアをうまく使って問題提起して、政治の意思決定に影響を与えるという一連の流れをつくる重要性を指摘されたことにあるかと思います。いろんな技術がもたらす「想定外」についてできるかぎり早めに、社会に対して警鐘を鳴らす機能を実装している(しようとしている)ことで、オランダあるいは欧州の(科学技術)ガバナンスの強靭性が高まっているようにも思えます。
さて日本の(科学技術)ガバナンスにおいて、同じようなメカニズムが存在するでしょうか?市民社会組織や学者などがいろいろ意見を言うことはあるでしょうが、ガバナンスのメカニズムとして、(公立のラテナウ研究所のように)ある程度制度化された形で、技術導入の社会影響について社会に開かれた議論を行う仕掛けっていうのは、存在しないと言っていいんじゃないかと思います。
たとえば、ロボット技術が導入されたとき、どういういいこと、悪いことが起きるでしょうか?技術者などには「いいこと」しか言わない動機づけがあるので、「いいこと」しか議論されないでしょう。外部の人間が、批判的な目で問題を指摘しないことには、技術の利用者であるわたしたちはリスクを認識せずに、技術に投資し、社会の一部に組み込んでしまうことになりかねません。
新車情報だって、メーカーにだけ情報を依存していたら、いいことばっかし出てくるから、自動車評論家なり消費者団体の評価が重要になってくるわけです(そういう意味で、科学技術ジャーナリズムを考える人は、日本の自動車ジャーナリズムを創造されてきた方々の功績から学ぶところが多いかも)。
Pepperだって、あれがどんな影響をもたらすのかを評価する場があっていいでしょうに。
もちろん「ダメ・ダメ・ダメ・ダメ~あれもダメ、これもダメ♪」って教条主義な雰囲気の議論の場をつくったら、世間から疎まれるでしょうね。むしろ、「これ、ヤバいかもしれない」って不安感をあおるくらいで、ちょうどいいのかもしれません。そうして議論になった結果、「やっぱ、そのくらいのインパクトなら大丈夫だわ」って結論が出れば、それはそれでいいことでしょうし。
そんな現場を理屈抜きで10年以上仕切ってきたスタマンさんの知恵から学ぶことは多そうです。
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スタマンさんの公開セミナーを本日(10月22日)15時から東大で開催します!
http://stig.pp.u-tokyo.ac.jp/?p=1122